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◎「笑いを通し学ぶべし」 江戸落語にはさまざまな人物が登場する。なかでも主役といえば八っつあんに熊さん。上方落語では喜六、清八となる。年齢不詳だが、まあ20代の職人といったところだろう。東西ともに主人公は若手なのだ。 八っつあんが「こんちわー」と玄関先に顔を出すのがおなじみの幕開け。訪問先の主(あるじ)が若い衆ということはまずない。 生活の場を取りしきる大家さん。お得意先にあたる旦那。兄いは職場の上司である。すべてが年上なのだ。 とりわけて多いのが人生の大先輩ご隠居さんの出番である。 「おや、八っあん。何か用かい?」 「用はねえんですよ」 「用があるから来たんだろ?」 「用があればこんなところに来ねえよ。やることがなくて暇でしょうがねえから来たんだい」 「相変わらずだねえ」 ぞんざいな来訪者を鷹揚(おうよう)に迎え世間話に興じるご隠居。その口を通して八っつあんは先人の知恵・工夫に触れる。 「やっぱり年寄りの話は聞いてみるもんだ。忘れねえうちにやってみよう」 はげやすいのが付け焼き刃。当然うまく行くはずもなく大失敗する様が客席の笑いを誘う。楽屋内で“オウム返し”と呼ぶお決まりのパターンである。 ご隠居が八っつあんに指南するテーマは幅広い。あいさつの仕方や商売のコツ、くやみの文句から借金の言い訳などなど。しかつめらしい小言と違い、笑いでリラックスした身体には金言が自然にしみ込んでゆく。 落とし噺(ばなし)のルーツと称される「醒酔笑(せいすいしょう)」。編者の安楽庵策伝は京都誓願寺の住職である。僧侶が説教をする時に面白おかしく聞かせた語りが落語の元祖。教育的内容をふんだんに含むのはそのためである。 なかでも中心におかれる価値観は年の功。笑いを通し“年長者に学ぶべし”と説いているのだ。若者の役割も見逃せない。八っつあんとの交流によって、ご隠居も癒やされ活力を得ているのである。 用もないのにのべつ訪れる八っつあん――。 「おまえさんとは合縁奇縁とでもいうのかねえ。日に一(いっ)ぺん顔を見ないと寂しいよ」 「そうですか。あっしも日に一ぺん隠居さんの顔を見ねえとね」 「やっぱり寂しいかい」 「通じがつかねえんです」 「人の顔で通じをつけちゃいけないよ(笑い)」 これがホントの通じ合う仲……。 老と青が共生する落語的世界を現代にも再現したいものである。 (上毛新聞 2009年10月7日掲載) |