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◎就労への意識改革を 完全失業率の上昇に歯止めがかからない。総務省が発表した「労働力調査」によれば、2009年1月に4・1%だった完全失業率は7月に5・7%(戦後最高)を記録したという。国際通貨基金(IMF)が7月に発表した「世界経済見通し(改訂版)」では、09年の日本の経済成長率をマイナス6・0%と予測しており、景気の底打ちを疑問とする声も多い。 私は5月21日付本欄において、「高等教育を受けた人材を吸収する受け皿産業の育成」が急務であると述べ、日本経済がもつ構造的な問題への対応を求めた。しかし、われわれ一人一人の就労に対する意識改革もまた必要である。 日本近代資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一翁(1840―1931年)は『青淵百話』(1912年刊)において「就職難善後策」と題する経済評論を著している。その後、大学令によって旧制大学が急増し、大卒の就職難が大きな社会問題となっていくことを考えると、翁の先見と洞察には端倪(たんげい)すべからざるものがある。 翁は、当時の大学生の多くが高尚な事業に従事したいと考えていることに対して鋭く批判する。翁の言葉をそのまま述べよう。「今日の学生の一般は、その少数しか必要とされない、人を使役する側の人物たらんと志している。つまり、学問して高尚な理屈を知ってきたから、馬鹿(ばか)らしくて人の下なぞに使われることはできないようになってしまっている」 翁の批判の矛先はそのまま90年後のわれわれに向けられているようだ。高等教育を受けるという目的についていえば、われわれの意識は90年前とほとんど変わっていない。 残念なことではあるが、今学習している内容が将来「働く」段階でどのように生かされるのか考えている学生は少数である。高等教育は「きつい・汚い・危険」な職業を回避するための免罪符ではないはずだ。翁は高等教育を受けた人材こそ、広く産業のさまざまな職種に就いて生産性を上げることが国家の利益につながると説く。 確かに失業率は上昇している。しかし、衣食住に加えて労働需要が絶対的に不足していた終戦直後の貧しさからは程遠い。当時は不本意ながらも生きるためにまずは働かねばならない現実があった。大学・短大進学率が5割を超えた今日、それは本来歓迎すべき社会の成熟の到来でもある。しかしながら、高等教育を受けた人材の失業は増加の一途をたどっている。高等教育を受けた労働者の雇用吸収力が弱い産業構造も問題だが、労働者自身の意識もまた改革していかねばならない。そのためには、義務教育の段階から「教育と労働」を関連付けて教育する「就労教育」の拡充を求めたい。 (上毛新聞 2009年9月7日掲載) |