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国土防災技術(株)技術本部副本部長 小菅 尉多(渋川市北牧)




【略歴】北海道大農学部林学科卒。現職のほか、武蔵流域研究所代表取締役。利根川上流域で発生した土砂移動が下流河川に与える影響について調べている。




土砂災害の分析情報



◎対策の基礎資料に




 群馬県は土砂災害に強い県であると思っている人がいますが、そんなことはありません。2007年9月の台風9号では、富岡市、藤岡市、南牧村などで土砂災害が発生しました。02年7月の台風6号・梅雨前線豪雨では水上町で土石流災害が発生しました。このように、最近でもたびたび土砂災害が発生しているのです。

 日本の土砂災害史を見ると、1947年のカスリーン台風による赤城山周辺で発生した土石流災害は特筆すべきものとして挙げられます。赤城山山頂には現在のように雨量計は設置されていませんでしたが、大沼の湖面水位の上昇記録から雨量が推算されています。その結果、同年9月14日から15日にかけて約480ミリの降雨があったと考えられています。

 この多量の降雨のために赤城山に源を発するほとんどの渓流で多数の山崩れが発生し、その土砂は土石流となって流れ下り、甚大な土砂災害が発生しました。県内では死者592人、行方不明者107人と、尊い命が奪われました。特に当時の敷島村(現渋川市赤城町)の沼尾川の土石流災害では83人の死者が出ました。県内ではこのような土石流による死者の比率が高かったのではないかと考えています。

 発生した山崩れの分布実態、土石流の流下実態は米軍が撮影した空中写真を分析するとわかります。米軍もこの災害の甚大さに驚いたのか、場所によっては2度にわたって空中写真を撮影し、詳細な記録を残そうとしたことがうかがわれます。

 今、私が最も知りたいことは、赤城山山体で発生した山崩れ・土石流が利根川あるいは渡良瀬川の河道に流れ込んだのち、それぞれの河床がどの程度上昇し、その上昇が、その後どのように下流河川へ伝播(でんぱ)していったのかということです。

 災害前と災害直後の河道の形を比較できる場所は数点あるのですが、それらは狭窄(きょうさく)部で、もともと河床の変動の少ない地点です。もっとも知りたい情報は河道の広くなった区間にどのくらい土砂が堆積(たいせき)し、その土砂がその後の洪水でどのように下流河川へ移動していったかということです。

 また、災害直後の利根川の流水は濁っていたものと思います。この濁りが時間とともにどのようにおさまっていったかも知りたい情報です。

 災害は発生してほしくない現象ですが、発生してしまったならば、このような情報も確実にとらえて、後世に伝え、効果的・効率的な対策を講じるための基礎資料としたいと思います。






(上毛新聞 2009年8月2日掲載)