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◎尊重し讃えていく姿へ ドイツで初めて私が公開の場で演奏をしたのは、ある音楽祭での講習会を受講し、修了演奏会出演者に選んでいただいた時のことでした。私は幸いにも独奏と室内楽、それぞれ違う会場で2度の出演機会をいただき、どちらも10分程度の演奏をいたしました。 数日後、音楽祭事務局に行くようにいわれ出向いたところ、事務局の人に笑顔で、「先日の演奏会であなたが演奏したので、これがその報酬ですよ」といって封筒を手渡されました。サインをし、受け取ったその封筒の感覚を今でも覚えています。その後もさまざまな講習会やコンクール等で音楽祭が併催され、出演の機会があった時には同様のことがありました。 これは、当時私が日本において経験していたものとは全く異なるものでした。大抵の場合、出演のお誘いや機会があったとしても、集客まで責任を持たせられる場合も少なくありません。「チケットをこれだけ売りました」と報告したり、ノルマをこなせず出費をしたり、謝りながら主催者にチケットを返券したりという、コンサート当日や後日の主催者と出演者とのやりとりは、前述のドイツの場合と全く逆です。 確かに、演奏の場を設定することには費用がかかります。しかし、その費用を出演者が負担をするということはどういうことなのでしょうか。主催者は何を目的にその演奏会を開くのでしょうか。お金を払える人、ノルマをこなせる人のみが演奏するのでよいのでしょうか。 若手演奏家の真の育成を目指すならば、演奏の機会を提供する際、特にノルマを課すべきではなく、逆に少なくても報酬を与えるべきだと強く思います。私はそうやってドイツで育てていただきました。外国人留学生であった私にさえ、どんなに小さな演奏の場でも一人の演奏家として、一つの仕事として対応してくれたのです。 この問題の根底にあるものは、国民性の違いもあるのでしょうが、私たちの「育ててあげる、場を提供してあげる」というような育成の考え方ではないでしょうか。そうではなく、若い人や経験の浅い人であっても、ある一人の人間が奏でる音楽を一つの作品としてみんなで尊重し、讃(たた)えていく姿があったら、どんなに豊かな世界になるでしょう。 あすから20日までの5日間、県庁1階で行われるドイツ・フェスティバルの中で、子どもから大人まで総勢約100人の方々が、思い思いにドイツ音楽を奏でます。その一つ一つの演奏に心から拍手を送り、耳を傾けたいと思っています。 (上毛新聞 2009年7月15日掲載) |