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精進料理研究家  高梨 尚之(沼田市)




【略歴】曹洞宗永福寺住職。元永平寺東京別院の料理長。ウェブサイト典座(てんぞ)ネット主宰。主著『永平寺の精進料理』など。




肩書が人を育てる



◎誰でも最初は未熟者




 今や禅の教えは海を越えて世界中に広まっており、ヨーロッパだけで300人の曹洞宗僧侶が活動している。5月末、イタリア人の女性禅僧(52)が短期修行のため寺にやってきた。

 仏教について多くの議論を交わしたが、中でも彼女はまだ若い私が住職を務めていることに驚いていた。すでに欧州で20年の修行を積む彼女だが、資格上はまだ駆け出しだ。日本ではわずか数年禅道場で修行した若者が住職や副住職の資格を得る例が多いが、もっと十分に修行を積んでから昇位するべきではという彼女の主張にいろいろと考えさせられた。これは檀家(だんか)制度や寺院後継者問題等にも関(かか)わる難しい課題だ。

 まず第一に大乗仏教には、自分がまだまだ未熟であることを十分自覚した上であえて他人を救うことを優先させるという「自未得度先度他(じみとくど せんどた)」の教えがある。

 要するに自分の事情は後回しにしてでも、苦しみ悩む多くの人々をすぐにでも助けたい、という慈悲心のあらわれである。

 それに、道場での修行年数だけがすべてではない。現場に飛び込まねば経験できないことも多い。お檀家さんの葬儀に立ち会って共に涙を流し、地域と密着したささやかな活動を積み重ねて寺を守っていくことも大切な修行だ。学ぶ姿勢さえ持ち続ければ、いつどこでも良き修行ができる。

 また「肩書が人を育てる」という名言がある。その肩書にふさわしい自分になりたいと強く願い、周囲の助けを借りながら必死に努力することで、少しずつ理想に近づけば良い。もちろん謙虚な態度は必要だが、十分な実力が身につくまで遠慮して待っていたらいつになるかわからない。

 さて、この話は近年表面化している社会問題にも大いに通じる点がある。

 十分な実力を養ってからその役に就くのが理想だが、不況下の昨今、企業では十分な研修教育期間を設けることは難しく、即戦力が求められていると聞く。

 ニートと呼ばれる若者の中には、社会人になるのが怖くて部屋に籠(こ)もる者が少なくないという。また親になることを拒絶し、育児放棄に至る例も目立つ。一人前であることを過度に期待しすぎる社会が無用なプレッシャーとストレスを若者に与え、心の病を生み出しているのではないか。長い目で優しく見守ってあげることはできないだろうか。

 未熟者でいいじゃないか、不完全な自分を自覚してこそ前進することができるのだから。一人前でなくてもいい、肩書先行でも、とにかくまずはやってみることでだんだんと成長していけばいいじゃないか。

 和尚だって、肩書に追いつこうと頑張っている。はじめから完璧(かんぺき)な社会人などいないし、自信満々で親になる人も少ないだろう。行き詰まった時、いっそ開き直って力を抜き、気を楽にしてみたら、心の重荷もだいぶ軽くなるはずだ。合掌






(上毛新聞 2009年7月10日掲載)