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臨床美術士  高庭 多江子(伊勢崎市今泉町)




【略歴】伊勢崎市内の特別養護老人ホームに14年間勤務。2003年から臨床美術を学び習得。現在も月2回東京で受講しながら、ボランティアでお年寄りに指導を続けている。


臨床美術の力



◎「自己超越」の域に




 アメリカの心理学者、アブラハム・マズローは、「欲求段階説」で、人間の欲求は5段階のピラミッドのようになっていて、底辺から始まり、1段階の欲求が満たされると、もうひとつ上段階の欲求を志すとしている。

 第1段階は生理的欲求、第2段階は安全の欲求、第3段階は親和の欲求(他人とかかわり、集団に帰属したいという欲求)、第4段階は自我の欲求(自分が集団から価値ある存在として認められ、尊敬されることを求める欲求)、第5段階は自己実現の欲求(自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を追求する欲求)である。マズローは晩年になって、「自己実現」でも人は満足できず、その上に「自己超越」の欲求があるとした。

 認知症の方でも、臨床美術によって感性が活性化されると、集中力や意欲・関心が改善することがある。そして、創造的な空間の中で、それぞれの個性が大事にされ、何よりもお互いが尊敬される存在だということを確認できた時、「自己実現」を果たし、「自己超越」の域に達することが可能になる。

 認知症の方が、「芸術家たりうる」境地に至る場合があるのは、まず「うまく作ろう」という思いから開放されているためであり、また、制作途中で失敗を繰り返し、手際よくできなくても、臨床美術士の適切な励ましで、その「失敗」がむしろ「素晴らしい発見」としてポジティブにとらえられるようになるためだ。これにより「イメージの飛躍」を体験し、「自分を超えた世界」が展開し、芸術作品が生まれるのである。

 たとえ認知症になっても、人間は臨床美術を通して成長し続けるのである。マズローの言う最も高度な欲求である「自己実現」や「自己超越」の欲求が満たされた時、心理的に健康になって生きる力が与えられ、喜びをもって家族と日常生活を送ることができるのだ。

 臨床美術では人間を評価する際、二つの考え方がある。一つ目の「存在論的人間観」は、何かができるからということではなく、その人の存在そのものを喜び、そこにいてくれることを感謝すること。二つ目の「機能論的人間観」は、その人の能力・学力・技能など優れた人を優れた人間として評価することだ。

 確かに機能的な評価は必要だが、それだけを土台に人間を評価してはいけないのではないか。その人の存在の大きさ、重さ、大事さを認め、かけがえのない人間として、尊ぶことも大切なのである。






(上毛新聞 2009年7月7日掲載)