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俳優・演出家  石井 愃一(神奈川県川崎市)




【略歴】沼田高卒。渥美清、蜷川幸雄の両氏に師事。東京ヴォードヴィルショー所属。映画「陰陽師」、NHK「クライマーズ・ハイ」、TBS「水戸黄門」などに出演。



喜劇への道




◎人生を決めた出会い





 1970年4月、現代人劇場は「東海道四谷怪談」を上演することになりました。

 時は70年安保、デモで捕まった俳優もいて、私のような者でも出演させてくれました。毎日、蜷川幸雄さんに怒鳴られ、あの有名な灰皿を投げる伝説は私が投げられてできたものです。

 次の清水邦夫作「鴉よ、俺達は弾丸をこめる」では、毎日灰皿は飛ぶは、台本は投げつけられるはで、もうけいこ場を逃げ出そうと思っていました。でも、あまりに悔しいので、蜷川さんの頭を一つ殴って逃げようとしていたら、石橋蓮司さんに「お前、何考えてるんだ!!」と首根っこを押さえつけられけいこ場の隅に押しやられました。私は自分のふがいなさに涙が出てきました。「自分は何のために東京に出てきたんだ」「何のために渥美さんの付人をやめたんだ!」「役者になりたいのじゃないのか?」

 その時、頭の中に田舎の母の言葉が走馬灯のようにめぐって来ました。「本当に俳優さんになれるんかい?」「生活できてるん?」「今年の正月は帰ってこられるんかい? いつ帰って来てもいいんだよ、田舎で仕事を見つければ…」。私は逆に「絶対に帰らない!」「あきらめない! 夢は捨てない、ここで逃げたら趣味に終わる!」「演劇を仕事にするんだ!」と思って、灰皿を投げられても怒鳴られても何とかくらいついていきました。

 でも相変わらずのバイト生活。そんな時、蜷川さんが東宝の演出家として迎えられました。残された私たちは、清水邦夫さんを中心に演劇集団「風屋敷」を立ち上げましたが、「幻に心もそぞろ狂おしの我ら将門」が上演直前で空中分解してしまいました。上演場所は、使わなくなったしょうゆ工場。そこに、ある俳優養成所の卒業公演の裏方のバイトで知り合った女性をデートに誘い、仮設の客席に座らせ彼女のためだけに自分の場面を演じました。

 その後、国立劇場やNHKの大道具のバイトを続けていた時、バイト仲間の柄本明が出演する芝居の裏方につきました。そこに出ていた佐藤B作と知り合いになり、彼が主宰する劇団の芝居を見てビックリ。私はやっぱり喜劇をやりたいなと強く思いました。

 蜷川演劇から好きだった喜劇の道へ。方向転換というよりも本来の道へ歩き始めました。仮設の客席で私の演じるのを見てくれた彼女と結婚したのもこのころ、1978年の秋でした。30年以上たった今でも彼女は私の一番のファンです。

 蜷川幸雄さんが第二の師となり、B作が仲間となり、彼女が妻となり、出会う人たちが私の人生の曲がり角になぜか現れ、楽な道よりは苦労するかもしれない道を自然に選んでいました。役者には近道も楽な道もない!






(上毛新聞 2009年7月3日掲載)