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◎「市民と司法」の議論を 毎年352人に一人。私たちが裁判員になる確率である。地域間格差があるから、住んでいる場所によっては「石川さん、くじで選ばれました」と調査票や呼び出し状がくる確率がぐーんと高くなることもある。平均寿命まではまだまだ年数があるから、更に確率はアップする。「自分には関係ないもーん」などと言っていられないときがやってくるのである。 裁判員になったときのことを想像してみる。裁判員裁判が対象とするのは、一定の重大な犯罪に関する事件だけである。殺人罪や強盗が人を死なせたりけがをさせたりする強盗致死傷罪、あるいは人の住居等に放火する現住建造物等放火罪や身代金目的誘拐罪、そして危険運転致死罪などの刑事裁判である。それらの事件の裁判員になるというのは、事件そのものを考え、判断するだけとは限らない。映画「十二人の怒れる男」たちのように、自分のこれまでの考え方や価値観が揺らいだり、家族や隣人、社会と自分の関係を問われたりする経験になることもあろう。評議の経過や裁判官、裁判員のそれぞれの意見、評決の数、職務上知り得た秘密などの守秘義務も負うから、裁判員としての体験を自分の中にどうおさめるかということも重要になる。 このように個人が向き合うテーマだけでなく、制度上議論の余地が残されているテーマもある。どのような組織であれ、たとえそれが国という単位であっても、何らかの制度が定着するには一つ一つの経験が積み重なっていくことが重要であろう。そのため、社会全体が個々の裁判員の経験を共有できるような仕組みを作れるかがポイントとなる。また、公判前整理手続きは非公開なため、市民やメディアによるチェックが弱まる。そのため評議が適正に行われたか後々検証できることも欠かせない。しかし現段階では、これらは守秘義務との関係で難しいことが予想されている。 近代司法が生まれて140年。私たちはなぜ裁判員の席に座ることになったのか。裁判員として参加することで刑事裁判がどう変わるのか。制度導入の趣旨からすれば、主権者である私たち市民の目から見て、司法とどのようにかかわることが必要かを考え議論することが今、問われている。 このような中、市民活動として一般社団法人裁判員ネット(http‥//saibanin.net/)がこの春誕生した。法律家だけでなく、会社員や学生など一般市民が主体となって裁判員制度についての議論の機会をつくり、情報発信を行っている。このような市民の視点から生まれた活動が増えることによって、その先に、私たちが生きる社会の公正さが保たれることに大きな期待をもっていたい。 (上毛新聞 2009年6月6日掲載) |