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◎土砂堆積が洪水起こす 天明三年の浅間山の噴火の実態については、平成に入ってからいろいろなことがわかってきました。それは、「浅間山天明噴火史料集成(I~V)」をまとめられた郷土史家、萩原進先生の功績が大きいです。この史料から天明泥流の流れの全体像が見えてきます。 史料集に収録されている古文書には、天明泥流が吾妻川沿い、利根川沿いの各村を襲った時刻が記載されています。横軸に浅間山からの距離を、縦軸に天明泥流の到達時刻をとってプロットすると、天明泥流はとどまることなく吾妻川から利根川を流れ下ったことがわかります。 浅間山から約八十キロメートル下流の前橋付近には約二時間後には到達します。時速四十キロで自動車並みの速度で流下したことになります。 しかも津波のように波となって襲ってきます。原町、中之条町付近で波の高さは二十メートルから三十メートル、渋川付近で十五メートル程度、前橋付近で数メートルと、だんだん波の高さは小さくなっていることがわかります。 天明泥流が突然襲ってきてから引けるまでの継続時間は、原町付近で一時間半程度、渋川付近で四時間程度と下流ほど長くなっています。 このような流れは、同じ規模の洪水の流れと類似した流れであると考えられますが、天明泥流には多量の土砂と巨大な浅間石が含まれていました。この流れを水理学的に明らかにすることが今後の課題となっています。 この天明泥流に含まれていた土砂は、烏川との合流点直下付近までにほとんど堆積(たいせき)したと考えています。その後は泥水が東京湾あるいは銚子の河口まで流れ下っています。 さて、吾妻川および利根川の河道に多量に堆積した土砂はその後の洪水によりさらに下流側へと運搬されていきます。この状況も、古文書から読み取れます。 新潟大学の大熊孝先生が整理した結果を見ると、渡良瀬川が合流する地点付近、江戸川に分派する地点付近、鬼怒川が合流する地点付近はその後、洪水で運ばれた土砂が時間差を伴って河床に堆積してゆくことがわかります。そして、その結果、洪水被害を引き起こします。 この洪水被害は噴火後百年たった明治になっても続き、利根川の治水を混乱させます。治水工事として河床に堆積した多量の土砂の浚渫(しゅんせつ)をしなければならなくなります。 最近の火山噴火は有珠山、伊豆大島、雲仙普賢岳、桜島と、どちらかというと海岸に近いところで発生しています。浅間山のように内陸部の火山が噴火し多量の土砂が河川に供給されると、その影響は下流域にまで及び、しかも長期化することが予想されます。天明の噴火からはそのような教訓が得られます。 (上毛新聞 2009年5月30日掲載) |