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邑楽町教育委員長  加藤 一枝(邑楽町光善寺)




【略歴】群馬大教育学部卒。教員として片品南小などに勤め、結婚後退職。病院の理事をしながら自宅で茶道教室「令月庵」を主宰。2003年から邑楽町教育委員長。


映像の豊かさ



◎子どもに感じる力を




 私たちは身体に備わった感覚を働かせ、日々生きています。中でも、「見ること」は、どれほど多くのことを思い考え、想像し、心を豊かにするか知れません。

 このような思いの中で、私は、県と県教委が取り組んだ「映像教育」に関心を持ち、邑楽町の研究員の先生と一緒に参加しました。前橋市出身の小栗康平監督を講師に行われた、映像の実践と感覚の学びの中で、まさに今、子どもと大人が共にこの時代を生きようとする時に、映像が持つ本来の豊かさに気付かなくてはならない、と思いました。

 小学校の校長先生や、先生方と体育館で「一日映画会」を行ったときのことです。ロシアのユーリ・ノルシュテイン監督のアニメーション「霧のなかのハリネズミ」を見ました。

 一カット、一カットの映像に、子どもたちは、「いつも見ているものと比べて、色や動きが優しい感じがした」「表情の変化で感情が読み取れたから、この作者はすごい。よっぽど顔のことを分かっていないと、伝えられない」「いつも見ているものは、考えなくても面白いけど、これは緊張した」と言うのです。

 何も見えない白い霧のなかで、突然現れる大きな木や川、動物とハリネズミの不思議な出会いに、自分自身を重ね、はらはら、わくわくして、「はりねずみは袋を持って旅に出たのだと思う」とも。せりふを付けたり、森の中の物語を作ったり…。それは、夢や希望を持って、豊かな世界につながっていくのです。中には、「みんなの発表がとてもいいことばっかりで、ビックリすることだった」という子もいました。

 映像は、本来は、もっと豊かなものであったはずです。目で見ることしかできないことを、別の形で見ることができたのですから。そして、何よりも素晴らしいことは、そこには、撮った人のこうありたいという願いや、表現したいことの強い意思があるということです。言語や音楽、時間などを伴って表現されたすぐれた映画は、芸術としても、また、私たちが忘れてしまいそうな、自然や命の根源に立ち返ることとしても、子どもたちに届けられるものではないでしょうか。

 ちょっと、いつもと違う映画を見れば、子どもは「感じる力を、無限に拓(ひら)く」。私たち大人は、子どもの感受性に、あらあらと、驚くことばかりです。

 昨年、すてきな映画との出会いがあった「邑(むら)の映画会」は、今年も十一月三日に向けて準備を進めています。五月三十一日には、「群馬保育のつどい」(境総合文化センター)で、小栗監督の講演と、「赤い風船」「白い馬」の上映を行います。子どもに見せたい、という保育士さんの願いかなってのことです。子どもに映画を届けましょう。





(上毛新聞 2009年5月29日掲載)