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◎「文武」の努力を手本に 片品村出身の星野美香さん(現姓・馬場、千葉県在住)は、前橋東高校時代の一九八三年に全日本卓球選手権女子単で優勝し、以後V7という輝かしい足跡を残した。 最大の要因は、小学校三年の時に見城勉教諭と出会い、心技体の基礎基本をはじめ、戦術や戦略の知まで継続的に指導を受けて急成長した。その「努力」の歩みは後進のための最高の手本となっている。 まず特筆されるのは、最初から高い「目標」をもっていたことだ。日の丸をつけて世界で活躍したいという夢があり、自宅の練習場で、毎日黙々とサービス練習に取り組んだ。 そして、中学一年で美しいフォームから、空気を切り裂くような音がする“振り”の速さをマスター。投げ上げサービスの変化(鋭さ)も、一般に通用するレベルとなり、全国の関係者に「群馬に星野美香あり」と注目され始めた。 その原点は、星野さんの片品中学女子が力を入れていた「体力づくり」だ。当時腕立て伏せ競争などで、県内の男子選手に完勝するほどだった。これがきっかけで、当時の各校の指導者が、鍛え方不十分と猛反省し、本県全体のレベルが急速に向上した。 このほか、つま先歩行や、スポーツバッグを持って腕の屈伸をしながら登下校するなど、練習場以外の場所での地道な努力を続けた。北毛青年の家の県中体連強化合宿で、食事中の先生方にお茶を率先して勧める気配りも、一流選手への成長の兆しを感じさせた。 高校時代、規則正しい生活と、一日も休まず早朝マラソンに取り組むまじめさは、下宿先の夫婦から高く評価された。 実業団時代には、スポーツ選手にとって重要な食事に対しても工夫を重ねた。外食は必ず仲間を誘って出掛け、十数品を注文し少しずつ分け合って食べるなど、栄養のバランス(健康管理)にも気配りした。 海外遠征や国際大会の自由時間の際に、ショッピングの時間を割いて、文化遺跡や美術館を訪ねるなど、「心の器」を磨いた。そして、諸外国での武者修行や国際大会日本代表のチームリーダーを務めるために語学力が必要と、英会話学校に通うなど、見えない所でも努力を怠らなかった。 一流指導者から宮本武蔵の『五輪の書』を勧められた時は、すでに熟読していて、さらに「書」で模写中だったことから、感服と絶賛の言葉が送られたというエピソードもある。 以上のように、人間としての器を磨き続けた「文武両道」の努力が、V7達成快挙の原動力だった。「師匠のように、小学校の教諭になって子どもたちに卓球指導がしたい」という夢は実現しなかったが、その燦さん然ぜんと輝く足跡は、スポーツ選手の鏡であり、わが郷土の誇りである。 (上毛新聞 2009年5月25日掲載) |