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ピアニスト  澤田 まゆみ(高崎市箕郷町)



【略歴】東京芸大、ドイツ国立リューベック音大卒。東京芸大大学院修了。2006年から新島学園短大専任講師。07年、上毛芸術文化賞受賞。ぐんま日独協会、群馬音楽協会理事。


日本の音楽



◎今後も言語文化が担う




 ド、レ、ミという階名は、十一世紀イタリアのベネディクト派修道士グイード・ダレッツォの『聖ヨハネの賛歌』というキリスト教の歌が基になっているといわれます。

 元祖ドレミの歌であるこの歌は、歌詞(ラテン語)の中の音節Ut Re Mi Fa Sol Laが、現在ドレミファソラとよばれている各音に対応しています。ダレッツォは修道僧や聖歌隊の少年たちに聖歌をやさしく教える方法をいろいろと考案し、現在の楽譜の表記法の基礎をも築きました。

 わたしたち日本がキリスト教やドレミと出合うのは、フランシスコ・ザビエルが来日した一五五〇年ごろですが、その後二百年以上にわたる江戸時代の長い鎖国を経て、一八五四年についに開国することとなります。その時わたしたちは「黒船」ばかりでなく、その船に乗っていた軍楽隊の音楽にも驚かされたといいます。

 ドレミもわかりませんから、まずは英語の音名ABCに対応させながら、和歌「色は匂(にほ)へど 散りぬるを…」の冒頭を用いてラの音から順に「いろはにほへと」と日本の音名を名づけました。この「いろは」は、ドレミの階名で歌うことが一般的になった現在でも、音名や調の名称(ハ長調など)に用いられています。

 また、開国したとき日本にはまだ国歌がなく、一八七〇年から十年にわたる変遷を経て現在の国歌『君が代』が誕生しました。その歌詞は十世紀初め平安時代に成立した『古今和歌集』の中の和歌がもとになった薩摩琵琶の曲『蓬莱(ほうらい)山』から選定され、旋律は中国の十二律から由来し雅楽でも用いられる壱越(いちこつ)調、和声は当時日本にいたドイツ人フランツ・エッケルトによって付されました。つまり、わたしたちの国歌は古い日本の和歌、中国の音律、西洋の和声の三つが合わさったものなのです。

 このように音楽の起源や曲のさまざまな歴史をたどっていくと、まさに世界はつながっているのだと実感せずにはいられません。それと同時に今後の日本の音楽文化を考えるとき、このような歴史を踏まえつつ、わたしたちの文化、とくに言語といった要素を十分に考慮し、これらを共に考えていくことがとても大切だと思います。

 わたしたちは和歌を詠み歌い、海外からさまざまな音楽を採り入れながらも多くの日本の歌を生み出し、そして歌い継いできました。二十世紀には日本の俳句が世界の作曲家たちに注目されたこともあります。

 日本の言語文化は、今後もわたしたちの音楽の重要な担い手です。大切にしていきたいものです。





(上毛新聞 2009年5月24日掲載)