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◎実態に合わせた制度を 渋川市の高齢者施設「静養ホームたまゆら」で起きたお年寄りの焼死事件から二カ月以上たつ。この痛ましい事件は日本の社会保障制度の現実をよく表している。報道などによれば、施設利用者の半数以上は東京都内からの移転者だった。しかしこの事実は驚くに値しない。県内の福祉関係者ならば、おそらく知らない人の方が少ないはずである。問題はこれらのケースに対し、福祉行政サービスがどうなっていたのかである。 亡くなった高齢者の中には生活保護費を受給し、介護保険サービスも受けていた人もいたという。この場合、建前通りなら都道府県区市福祉事務所(実施機関)が生活状況を把握し、定期的な施設訪問なども行わなければならない。それは介護保険も同じ。いずれにせよ、行政は生活の実態を確認できたはずだ。こうした事実から行政はいったい何をやっているのかという批判を免れることはできない。 今回の事件は、行き場を失った都会の高齢者事情を浮き彫りにした。都市社会は生産主義であり、高齢者に限らず障害者も生産に関与できなくなれば生活しづらくなる。その結果、高層団地での一人暮らし、老夫婦世帯、老老介護、極端な例でいえば孤独死が待っているのが現状だ。行政も手をこまねいていただけではない。例えば私が所属する医療法人は東京都の下町にあり、問題にされている墨田区も活動対象エリアに入る。聞くところによると、墨田区は今回の高齢者を住民として認め、生活保護や介護保険の受給を認めていたという。ならば、実施機関として相当の決意を持って、踏み込んだ法解釈をしていたと考えたい。 このような課題が山積する現代社会の混迷ぶりは明らかだ。東京都の高齢者人口は二百五十万人、その20%五十万人が要介護認定を受けている。また、その半分の方が全国平均並みに施設利用を希望したとすれば、二十五万人の需要があることになる。しかし、受け皿が準備できない。こうした事実に対し、都も区も福祉社会の核としてグループホームなどの建設に補助金を出すなど、厳しい財政事情の中で必死に施設整備を図っているが、制度が実態に追いついていない。 社会保障は病気・障害・加齢・失業などがもたらす貧困から社会的弱者を守るため、再配分や所得移転を行う歴史的制度である。国家は国民にそれを保障すると約束したものが憲法。目まぐるしく変化する社会状況に対応できなければ制度の維持は難しい。そのために知恵を絞ることが官僚の仕事。先の見えない不況に突入する中、高齢者施設の建設やその担い手としての人材育成、ケアの充実が外需依存から内需拡大への転換に貢献すると思われるが、いかがなものだろうか。 (上毛新聞 2009年5月23日掲載) |