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かみつけ民話の会「紙風船」会長  結城 裕子(高崎市金古町)




【略歴】新潟県出身。桜美林大卒。祖母から昔話を聞いて育った口承の語り部。現在、かみつけ民話の会「紙風船」会長として語りとともに、読み聞かせ活動も行っている。


語りは難しい?



◎相手の心に寄り添って




 私はおばあちゃん子だったせいか、普段から着物を着ることが多く、図書館や小学校で子どもに語る時も着物である。そんな私の姿を見て、初めて会った子は「あっ、浴衣の人」などと言う。どうやら今の子どもにとって着物は珍しいものらしい。「着物=浴衣」と思っている子も多いようだ。私が「残念!!これは浴衣ではなくて…」と言うと、子どもたちはおもしろがって、いろいろな話をし出す。

 祖母が生前普段着にしていた紬(つむぎ)を初めて着ていったのは、金古小学校であった。その時、子どもたちに私の着ている紬が祖母の形見で、そのひざの上で幼い私がよく昔話を聞いていたと話した途端、「エー」と声が上がった。「このひざの黄色い染みは裕子さんがカレーを垂らしちゃった跡」と言うと、子どもたちの目が一斉に輝いて、前列の子たちはそれが本当かどうかを確かめようと、私のひざを覗きこんだ。そして、それを確認し終わったころには、子どもたちはもう、この紬を着ていたおばあちゃんとそのおばあちゃんが語ったという話に、興味津々になっていた。大人の一方的な思いや既成概念の押しつけではなく、子どもの好奇心にこちらが寄り添っていけば、子どもたちはすばらしい聞き手になってくれると私は信じている。

 昔話を語る時、やじを飛ばす子や大声で勝手に話し出す子もいるが、私はあまり気にならない。気になる前に「静かに」とたしなめてくれる子や、シーッと口に人さし指をあててくれる子が大抵いるからである。語っている時「それで」「それから」と自然に合いの手が入ったりすると、うれしくなる。アンコールで延長になったり、常連の子がリクエストをしてくれるのもうれしい。時には道端や公園などで顔見知りの子に「お話しして」とせがまれ、その場で語り出すこともあるが、これもまた楽しい。

 語りは難しいという人がいるが、それは違うと思う。昔、語りはどこででも日常生活の中で行われていた。私は祖母から語り方を習ったことなどないし、祖母も語り方を勉強したとは思えない。語るとは、心を込めて話すことである。この世に同じ人間が二人といないように、うり二つの心を持った人間もいないはずだ。だから、同じ話でも語る人の数だけ語り方はあると思う。「紙風船」では、時々私が語った後、その話を各会員がひとりずつ語るということをする。皆さん、自分らしいみごとな語りで、とても楽しい。

 語りは上手下手ではない。語ってあげたいと思う語り手と聞きたいと思う聞き手の、お互いの心がひとつになって初めて成り立つのではないだろうか。肩ひじ張らず相手の心に寄り添えば、語りは誰でも自然にできるものだと私は思うのである。






(上毛新聞 2009年5月15日掲載)