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◎根源からの説明を 秋田連続児童殺害事件で、被告は「死は誰でも訪れるのに、殺傷はなぜ悪いのか」と手紙に書いているとの報道がありました。これは、神戸児童連続殺傷事件が生じた際、テレビ番組で高校生が「なぜ人を殺してはいけないのか」と質問したことや、長崎県の小学校で殺人事件が起きた時、教育関係者が「命の大切さをどう教えてよいか分からない」とその胸中を吐露したことを思い出させます。 「人を殺してはいけない」とか、「命を大切に」ということは、説明を必要としないほど素直に受け入れられるものですが、一方でその根拠を改めて問われると、説明の難しさに突き当たります。それはこの問いが「人間とは何か」、「命とは何か」という、人間や生命の根源を求める問いにほかならないからです。 本来であれば、私たちが生きていくうえで、これらについての認識はすでに定着していなければいけないのでしょうが、残念ながらこれは先賢たちが何千年にもわたり取り組んできたにもかかわらず、いまだ人類が共有できるものが得られないでいます。人間や命の起源に言及しているものは、宗教と科学が代表的ですが、例えば宗教が「人間は創造されたもの」として、科学が「生命は偶然発生し、人間は突然変異の積み重ねにより生じたもの」として、それぞれ位置づけたとします。この場合、双方が全く異なった見解となりますが、真理は一つしかないので、一方が正しければもう一方は間違っていることになります。 ところが、両者ともそれなりの説得力を有しており、どちらが正しいか判断に迷う状態です。加えて、両者が同じ土俵で論議されることがほとんど無いため、両者の見解は平行状態から抜け出せないでいます。これは創造主がいることも、いないこともいまだ科学的に証明できないことや、生命や人類誕生の瞬間を見た証人のいないことが、問題の解決を阻む一因となっています。 しかし、ことは人間の根源にかかわる問題です。これだけ人権や命が論じられる問題が発生し、将来における健全な社会の発展が危惧(きぐ)される現在、私たちはこの命題を避けて通ることはできません。人間は人間たるゆえんを知ることで、生きていく方向性をより正しく見定めることができ、また命の大切さもきちんと説明することができるのです。 そのためには宇宙の誕生までさかのぼり、宇宙や生命の発生が偶然か創造されたものか、それぞれの説について、どちらがより科学的で真実に近いか、検討する努力を重ねていかなければなりません。そして、そこから導き出された結論は、価値観の混乱する社会を支える礎となるでしょう。このように考えると、私たちは人類歴史の中で大切な時期を迎えていると言えます。 (上毛新聞 2009年4月3日掲載) |