視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎貴重な遺産を記録に 上野村の御巣鷹山は日航機墜落現場だが、林業が盛んな場所として知られ、そこで稼働した森林鉄道跡は近代産業遺産として貴重な調査研究の対象となっていた。 登山口の駐車場脇では、森林鉄道のレールやポイントが草に埋もれている。御巣鷹山への分かれ道を左の沢へ入れば、当時のトロッコ道や小屋跡もある。しかしそれも観光の対象にはならないし、訪れる人もササヤブで歩く気にもならないだろう。 山間部には、地元民にとっては忘れられない貴重な自然遺産、遺跡が多く残されているのである。その一つとして、四万の森林鉄道がある。その調査をしていた時のことだ。かつての従業員が小さなパンフレットを見せてくれた。森林鉄道閉鎖の記念として、心ある職員が編集して関係者だけに配ったもので、写真を主とした貴重な資料である。 国有林も赤字続きだが、終戦後の復興は、焼けた東京の家作りから始まったのであり、その木材を提供したのが利根、吾妻、多野などへき地の国有林だった。当時は鉄道はおろか道路もなかったから、林業家たちは、現地に仮小屋を建てて生活しながら原始林を伐採し、トロッコ道を作って運び出した。そんな林業の町がいくつもあり、その最大の集落が本谷と言われた神流川源流と利根川源流であった。 森林鉄道はそのほかにも四万、玉原、万座、根利などにあったが、それぞれの町村誌にも記述がほとんどなく、忘れられてしまっているのが現状だ。 大きな集落では、子供たちのための分校や診療所もあり、五百人近い人たちが林業の町を作っていた。しかし、高度経済成長の時代、外国産材の輸入に太刀打ち出来ず、林業の衰退が進み、道路の開削で森林鉄道の役割も終わってしまった。 現場を歩けば、路線跡にレールが埋まっていたり、川べりには橋脚の石垣が残され崩れたトンネルもあるのだが、当時の様子を知っている者はほとんどいなくなり、聞き取りも困難な状況になってきた。そんなとき、薄いパンフレットの色あせた写真であっても、持っている人に出会うと、金鉱を掘り当てた以上の喜びを感じる。 みんなが知っている当たり前のことでも、時間がたてば貴重な資料となる。だからこそ、できるだけ多く記録として残すことを心がけたい。おじいさんのごみとして捨てられた物の中にも、貴重なパンフレットやメモがあるかも知れない。ごみとして捨てる前に、役場や公民館などに相談して、いったん寄贈してもらえればと思う。 (上毛新聞 2009年3月27日掲載) |