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◎社会と協働する力を 音楽家は現実離れしている、いや、日常を忘れさせ夢を与える仕事なんだから現実的でないほうがよいなどといわれることがあります。しかし、演奏という、聴衆や聴き手を伴う行為がある限り、ただ自分自身のための鍛錬ばかりをして社会的な関係やつながりを全くもたなくてよいということはないでしょう。 音楽はコンサートに限らず、さまざまな式典や催し、イベントで必ずといってよいほど用いられ、演奏を求められる場も多岐にわたっています。演奏者はその都度どのような演奏をするか、主催者の方針や希望を確認しながらその内容や提示の方法を決めていきます。 数ある楽曲のうち何を弾くか、どのようなプログラムを組むか、またどのようにその音楽を提供するかということは、主催者にとっても演奏者にとっても、その催しを成功させるうえで、また、その音楽を真の意味において生かすためにもとても大切なことです。さらにその際、聴衆や聴き手がどのような人たちなのかということも当然十分に考慮されます。 こうみてくると、演奏者は主催者と聴衆の間にあって、双方との関係を構築しながら、演奏する瞬間だけでなく、常に社会とかかわりをもっているといえます。主催者や聴衆の要請に応えるために、新たな楽曲に取り組んだり、違うジャンルのものに挑戦したりということもしばしばです。 そういった意味では演奏者は社会によって育てられているともいえます。しかし、そのように演奏者が社会からの需要のみを満たすだけでは、豊かな音楽文化の形成はなしえないでしょう。 演奏者は日々鍛錬し、レパートリーを広げ、時には自らのプロデュースによって演奏、発表するなどして、演奏者自身のオリジナリティーを確立、発信していくことも大切です。また、その鍛錬や創造的な活動をとおして得たさまざまな見地や音楽的な信念をもとに社会に何かを提示したり、問いかけていく力を培うことができたとき、主催者、演奏者、聴衆という三本の柱の一つを十分に担っていくことができるのではないでしょうか。 一九九〇年代、わが国において音楽家と社会をつなげるコーディネーター、音楽マネジメントの必要性が叫ばれ、大学をはじめ人材養成のための活発な動きが見られました。現在もその動向は続いていますが、音楽家、つまり音楽を扱う専門的な人間という意味において、演奏者を含む音楽に携わる人すべてに、豊かな音楽文化形成のための責任と努力、そして社会と協働する力が今なお求められていると思います。 (上毛新聞 2009年3月26日掲載) |