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邑楽町教育委員長  加藤 一枝(邑楽町光善寺)



【略歴】群馬大教育学部卒。教員として片品南小などに勤め、結婚後退職。病院の理事をしながら自宅で茶道教室「令月庵」を主宰。2003年から邑楽町教育委員長。



子どもたちの命の輝き



◎感性を育み、生きる




 私たちの命は、母の胎内にいる十カ月の間に、生きものが辿たどってきた、何億年もの時間を辿って生まれてくるのだそうだ。何と神秘に満ちた、営みなのか。生まれた命が、母の命から離れ、一つの命として独立して、この世界を生きる。私たち人間は、身体中でさまざまなことを感じる。与えられた感覚、五感を使って感性を育はぐくみながら生きているのだ。

 私は、時々、孫の通っている保育園に行く。子どもたちと一緒に山登りをしたり、散歩をしたり、“リズム”をしたり…。子どもの身体や心は、「不思議」に向かって働いている。今やりたいことに、全身で向かっていく。五感のすべてを使い、「自分の今」を生きている。

 言葉ではない、自分の目で見るものを信じ、触る水や泥、生きものの命を感じ、聞こえるものの微かな音にも耳を傾ける。お代わりをして、お皿に乗せてもらった半分のイチゴを、実においしそうに食べる。目の前の調理室から、おいしいお昼のごはんや、おやつのお芋のふけるにおいが、子どもたちを包み込んでいるのだ。

 そんな保育園で、卒園も間近のころ、子どもたちは、お父さんが作ってくれた手織り機で、毎日毎日、裂さき織りをする。何枚か織れたころ、私は子どもたちと話をする。「大昔は何を着ていたのだろう。大切に使われて、一枚の布では破けそうになっても、切ったり裂いたりして織れば、どう? もう一度、丈夫な布になる。無駄なものなんて無い…」。子どもたちは、ルーペでのぞいたり、引っ張ったりしながら考える。

 ここで育った六年間の生の感覚が、ぞくぞくするようなみごとな世界を織り上げる。その色、その織り。織られた何枚もの裂き織りの布は、子どもの手で、パズルのように組み合わされ、リュックになったり、バッグになったり…。子どもの思いを大切に、お母さんが縫う。「ここが始めだよ」「ここが最後だよ」「ここのところは渋い色があるからいいんだよ」と皆で見ながら、楽しそうに話している。

 こんなに小さな身体でも、動きながら、立ち止まりながら、自分の目で見て、考えて、自分の足で確かめながら生きている。驚いたり、喜んだりしながら…。

 これからも、子どもたちは、自然の中で、人との繋つながりの中で、出会うものの中で、自分の感覚を拓ひらき、信じて生きていく。押しつけられるのではない、させられるのではない。自らのまなざしで、自らの意思で生きていく。私たち大人も、子どもの弾ける命の輝きに学びながら、見まもりながら、肩を並べて生きていきたい。





(上毛新聞 2009年3月24日掲載)