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群馬大大学院工学研究科教授  斎藤 三郎(桐生市川内町)



【略歴】群馬大、東京工業大博士課程を経て、1988年から現職。再生核の理論を研究、専門書、入門書も執筆。若い世代に数学の魅力を伝える活動にも力を注いでいる。



教員免許更新制



◎一律の考え方は慎重に




 新年度から始まる「教員免許更新制」は教師の不祥事件や教員としての適格性に欠ける教員の出現によって考えられた制度と言える。しかし、あまりにも現実離れした政策、制度ではないか。以下、マイナス要素を挙げてみたい。

 まず、教師の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させるだろう。また、財政難で国も地方もおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかけることになる。

 さらに、更新講習は形式的になり、大部分の教師にとっては不要であり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また、講習で改善されるような教師は初めから、問題が無いと考えられる。

 講習や講義によってどれほどの見識、有効な知識がつくかは、はなはだ疑問であり、自ら教師の役割と使命感を抱き、努力する姿勢が備わっていなければ、講習はマイナスの教育をすることになりかねないのではないか。それとは別に、教育や専門に関する教員の定期的な研修会があると思うが、それらは、充実されるべきである。

 更新されなかった教師の生活や身分の問題もある。解決できなければ、結局、更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。このような制度の導入そのものが、教師の立場を不安定にして、教師を心理的に圧迫する。教師の身分の不安定性は、長期的な視点、考え方を必要とする教育上、非常に良くない影響を与えるだろう。

 大分県教委の教員採用をめぐる信じられないような不祥事を見れば、モラルや教育に対する高こうまい邁な精神を失った人たちの存在とともに、更新制を企画し進める人たちの進め方に対する疑念が高まり、教育界の混乱につながると考えられる。

 教員免許に対しては、現実的には一律ではなく、個別に指導、対処する方法が良いのではないか。研究費の不正があると、一律に運用を厳しくするような傾向があるが、政策を進める時に一律という考え方には慎重に考慮する必要がある。実際の効果、効用をよく分析し、現実を考えて政策は進めていただきたい。逆から見ると、財政難の折、余計な機関や仕事、組織を作ろうとする人たちがいるのかと考えてしまう。公務員や行政はそのようなことを考えがちで、それを監視するのが、政治の、政治家の大きな役割であるはず。

 そんな資金があるのならば、教師に手当と時間を与え、余裕をもたせてあげていただきたい。行政も、それらに絡む膨大な仕事をする代わりに、教育に携わる人たちが、教育とは何かを考える時間にしていただきたいと考える。






(上毛新聞 2009年3月15日掲載)