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◎考えたい言葉の責任 「名前はお出ししてよろしいですか。それとも匿名にいたしますか」 聴取者の意見を募るラジオ番組にコメントを寄せた際、電話口に出た方に冒頭、質問された。ただコメントを述べるだけだと思っていた私は一瞬、ちゅうちょした。「名前を出してください」とはっきり答え、次にコメント内容を伝えた。テーマは「昨今の、中国によるチベット弾圧について、私はこう思う」といったものだった。 ひととおりコメントを述べ、電話を切った後、何か物足りなさが残った。思いがけず実名を名乗ることになり、テンションが下がってしまった。そのことで、伝えたい意見の半分で終わってしまったことが原因だった。 私はおもちゃ屋を営んでいるが、実店舗以外にネットショップも開いている。ネットショップにはレビューといって、購入者が商品やショップの対応について意見の書き込みができる欄がある。 実名は表示されないため匿名性は守られるが、書き込みに至るまでに名前を記載した上で購入するプロセスがあるので、レビューの信ぴょう性は高い。対面販売では言いづらかったことが、ネットショップでは活字となって店側や他のお客さまにも伝わる。ショップを運営する側としてはコメントのひとつひとつに、少なからず一喜一憂することになる。私自身、ネットで買い物する際はレビューを参考のひとつにしている。 一方、ブログや掲示板などには匿名性が重要視されるあまり、書き込む側の独壇場となりやすくなる。言ったもん勝ち、書いたもん勝ちがまかり通っているのが現状だ。匿名性を逆手にとったいじめや、犯罪の温床から犯罪そのものに利用されるケースも増えている。 「こんな大変なことになるとは思わなかった」。書き込みを利用した犯罪でよく聞く。パソコンや携帯を使えば簡単に書き込めてしまうため、その後のイメージが乏しくなってしまうのだろう。 「それを言っちゃあおしめえよ」 寅さんの映画に出てくる有名なセリフだ。ネット上で暴走するコメントを見るたびにつくづく思う。私自身を顧みて、ラジオ番組に匿名でコメントしていたらどうだったろうか。言いたいことのほとんどを伝えられたかもしれないが、話すうちにエスカレートすることはなかっただろうか。いま一度、言葉の責任について考えてみたい。 (上毛新聞 2009年3月11日掲載) |