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◎分かり合う努力で理解 私の住む大泉町はブラジルタウンということで、県外からもブラジル好きの若者が三時間も鈍行電車を乗り継ぎ訪れる、ブラジルフリークにとってはいわば聖地のような町です。 しかしそれをよく思わない方々もいらっしゃいますし、身近でいえば私の親など「ブラジル」というキーワードを聞くだけで顔をしかめるような人でした。私は親の反対を押し切りブラジル留学をしたので、親にとってブラジルは、娘の心を奪った相手であり、無事に日本へ帰してくれたものの、またいつブラジルへ連れて行ってしまうかもわからない非常に恐ろしいライバルなわけです。 私は湖と温泉しかない寒い田舎町に生まれ、お母さんといえば私がブラジルへ留学していたことをいまだに近所の人に言えていません。大げさに報道される外国人犯罪、触れたこともないのにぬぐえないネガティブなイメージ、勝手な解釈と差別的な発言。皆、ブラジルがどこにあってどんな美しいものがあるのかなど知る由もないし、それは私のお母さんも同様でした。私も「ブラジルはとってもすてきなのよ!」と派手なジェスチャーを交えて話しながらも、ブラジルの良さなど実際に現地へ行かなければわかるはずなどないとあきらめていました。 ブラジルから帰ってきた私は結局また親に反対されつつも自分の往生際の悪さ(良く言えば粘り勝ち)でブラジルタウンと呼ばれる大泉町に引っ越すことができました。親も最初は警戒していたようでしたが、大泉町に来る度にだましだましブラジルレストランに連れて行かれ、友達のブラジル人に触れ、気付いた時には彼らと仲良く接するようになっていました。 そんな中、あるブラジルイベントの帰り道、お母さんが「いつか、ブラジルに行ってみたいな」と、そっとつぶやきました。それは、音楽家になれると自信満々だった私が人生で初めて自分の耳を疑った瞬間であり、ブラジルへ留学してから初めて親の理解を手に入れた瞬間でもありました。鼻がツーンとして、あふれ出る涙を止めることができませんでした。 もしかしたらお母さんもお父さんも私を理解しようと努力していたかもしれません。でもどんな本を読んでもどんな番組を見ても、ブラジルの素晴らしさはわからなかったのです。大泉町に来てブラジル人と握手をして片言でも分かり合おうと努力して、初めてブラジルに触れたのです。十八日からお母さんを連れて七年ぶりにブラジルへ行ってきます。ブラジルから帰って来たら、お母さんは「私の娘はブラジルに留学していたんです」と近所の皆に言えるようになっているかな。きっと、きっと言えるはず。 (上毛新聞 2009年2月17日掲載) |