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国土防災技術(株)技術本部副本部長  小菅 尉多(渋川市北牧)



【略歴】】北海道大農学部林学科卒。現職のほか、武蔵流域研究所代表取締役。利根川上流域で発生した土砂移動が下流河川に与える影響について調べている。


利根川の流路


◎影響与える県内の土砂



 川は降った雨を海に排出するだけではなく、土砂、栄養分なども一緒に下流域に運搬します。上流域で崩壊、地すべり、土石流あるいは火山噴火などにより生じた土砂は、河道を通じて下流河川に運搬され堆積(たいせき)します。その結果、利根川の下流域には日本で一番広い関東平野が形成されています。

 六世紀の榛名山の噴火では、火砕流が発生しました。この火砕流は吾妻川まで流れ下っています。渋川市小野上のJR吾妻線が吾妻川を通過する右岸側には、吾妻川によって侵食された急な崖(がけ)があります。この崖は火砕流堆積物から成り立っています。この崖を眺めると、火砕流が吾妻川を堰(せ)き止めたことが想像されます。堰き止めた土砂はその後、侵食されて下流側に運搬されました。

 旧利根川の河道沿いに分布する、六世紀後半から七世紀初頭に構築された古墳には、石室に角閃(かくせん)石安山岩の石材が使われています。この角閃石安山岩は榛名山二ツ岳の噴出物であることが分かっています。

 古墳の石室に使われた角閃石安山岩の礫(れき)の大きさを利根川の流れの方向に順に並べると、確かに下流側に向かうに従って小さくなっています。この事実は、すでに歴史・考古学者の故尾崎喜左雄先生によって指摘されているように、利根川の流水によって運搬されてきた河床の礫を使用したことを意味します。すなわち、吾妻川・利根川の流水が噴火によって供給された土砂礫をその後、下流域に運搬堆積させたものといえます。

 一一〇八年の浅間山の噴火時には追分火砕流が流出し、南北斜面を流れ下ります。群馬県側に流出した追分火砕流は吾妻川を堰き止めたと考えられます。この堰き止めた土砂もその後侵食され、吾妻川・利根川に流出したと思われます。また、この時には烏川流域に降った多量の火山灰もその後、烏川・利根川に流出したと考えられます。

 ところで、利根川は昔、東京湾に流れ込んでいましたが、十六世紀初頭に人工的に今の銚子側に流路が変えられました。これは利根川東遷事業といわれています。この目的には、江戸の水害防除、東北の伊達藩に対する防備、古利根川沿岸の開拓、舟運の開発などがいわれています。

 しかし、根本的には県内で発生した多量の土砂を利根川が運搬し堆積させながら流路変動を行った結果、ちょうど利根川の流路が人工的に銚子側に瀬替えできる位置に来たことが大きかったのでないかと考えています。

 このように、私たちは昔に発生した事象に学び、群馬県内で発生した土砂生産・流出現象がその後、利根川下流域に影響を与えることを常に考えながら、流域全域のバランスを考える必要があると思っています。




(上毛新聞 2009年1月27日掲載)