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◎“ライフライン”が必要 介護保険制度が目指す理念とは、介護を必要とする高齢者が地域で暮らし、高齢者の尊厳を支えるケアを確立することである。ところが過日、ある研修機関で行った症例検討で、自宅介護が抱えるさまざまな問題を考えさせられた。 例えばこんな事例がある。百歳を超えた母親と七十代後半で認知症を発症した娘さんが二人暮らしをしているケース。母親は高血圧で主治医の往診を受けているが、近所への体面を気にして緊急時でも救急車は呼ばないよう娘と約束しているという。食事は主に配食サービスと、介護員による昼夕一時間程度の生活介護で賄われている。配食された食事を食べ忘れると、一日三食の保証はない。入浴は週一回のデイサービスで済ませている。この老老介護にわれわれがどうかかわれば、二人が当たり前の生活を送れるのか? 私にはため息しか出なかった。 別の事例では、夫を亡くし最近一人暮らしになった八十代の女性のケースを取り上げた。女性は五十代から視力障害がある。「何かあったら」と心配して家では風呂をわかさない。台所は介護員が使用するとき以外はビニールで覆ってあり、コンセントも抜いてある。すべて本人の意思である。家の鍵は近隣に住む子どもたちと、介護員以外が開けることはできず、閉ざされた中で生活している。 介護員が訪問すると、しっかり手を握ってあいさつしてくれ、「カーテンを開けました」と伝えることからいつも会話が始まる。女性はニコニコして、「ありがとう」「すみませんね」と感謝の言葉をかけてくれる。この方の生きる姿勢には本当に頭が下がる。しかし、人生の最終ステージを考えたとき、果たして本当に幸せなのかと思わずにいられない。 こうした事例はほんの一部なのかもしれない。だが、これが住み慣れた地域で暮らすことを目標とした、日本の介護保険制度の在り方なのだろうか。 生活とは基本的欲求を満たし、家族との関係、近所付き合いという線や面を持つ。個人の障害を時間単位で評価し、サービスを提供するこの制度の在り方ではどうしても他者とのかかわりが点になってしまう。要介護者は、生活全体を支援することが必要である。今回、介護報酬の改定は有資格者を増やすことに対して若干の上乗せはあった。しかし、それだけで自分らしく生活すること、今までの暮らしを継続していくことは難しいのが現実だ。 研修での救いは介護の最前線に立つ研修生(介護員)の熱意だった。研修生は学び、考え、地域で暮らすさまざまな高齢者のライフラインとなり、「生きてきてよかった」「あんたに会えてよかった」と感謝される介護職員になってほしいと思う。 (上毛新聞 2009年1月25日掲載) |