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◎良き人生に良き食生活 永平寺の開祖、道元禅師が海を越えて宋(今の中国)へ修行に赴いた際の話。 船が到着した港に、現地の禅寺の典座(てんぞ)和尚(修行道場の料理長を典座と呼ぶ)が積み荷の食材を買うためにやってきた。道元禅師はこれ幸いと、さっそく本場宋の仏法をご教示願おうと典座和尚に声をかける。 ところが典座和尚は、早く寺に帰って料理をせねばと、その申し出を断った。 いささか気を悪くした道元禅師は「料理なぞ誰か他の者にさせればよいでしょう。それよりも、仏法論議の方が僧侶としてよほど大切ではないか」と反論する。 それを聞いた典座和尚は、大笑いして「そなたは修行のなんたるかが何もわかっておりませんな」と言い残して去ってしまった。 すなわち、若き道元禅師はそのころ料理や食事を修行には不要な雑事として軽んじておられたのである。 「法食一等(ほうじきいっとう)」という仏語がある。仏法と食事とは同じくらい大切なもので、きちんとした食事なくしては、真の仏法はあり得ないという意味である。道元禅師はそうした経験を省みて、帰国後『典座教訓』という名著を書き上げた。そこには、私たちが生きていく上で欠かせない食と調理に関するあまたの金言が示されている。食にかかわる者ならば、ぜひ、ご一読いただきたい名著である。以来、曹洞宗の修行道場では七百五十年以上にわたってその教えを大切に守り、手作りの食を重視し、手間を惜しまず、まごころをこめた温かい精進料理を調理して、今も修行僧の健康を支えている。 さて、では私たちの日々の暮らしはどうだろうか。多忙な現代社会、するべきことがたくさんある。時間に追われる中、最も省略しやすいのが食事である。日々のつとめや目先の成果を優先するあまり、便利な食品に頼り、手間をかけずにサッとすますだけの不規則な食生活が続いてはいないだろうか。心の奥底で「たかが食事」と軽視してはいないだろうか。 良き人生には良き食生活が欠かせない。乱れた食事のツケは、いつか必ずわが身に返ってくる。 わが群馬は新鮮で栄養豊富な野菜や山菜などが入手しやすい環境にある。かけがえのない宝である地元産食材を健康維持のために活いかすには、飽きずにおいしく食べるための調理法や味付けの工夫が望まれる。 そこで私は、今こそ寺院内に秘伝されてきた精進料理の技と、食に対する尊い教えを広く公開し、「身にも心にも効く精進料理」を伝えたいと考えている。食品偽装や毒物混入問題などで食に対する不安が高まった昨年。本年を明るく良き年にするためにも、年頭にあたり家族で食と健康について一考する場が望まれる。皆さまの本年の万福多幸を祈念致します。合掌 (上毛新聞 2009年1月1日掲載) |