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◎きっかけは店での交流 村おこし、まちおこし、地域活性化―。耳慣れた言葉だが、どのようにすれば活性化するという方程式があるわけでもなく、非常にアバウトな表現だ。成功例もあるし、勿論(もちろん)、失敗例もある。むしろ失敗例の方が多いといった方が正解かもしれない。それでも全国各地でその活動や運動が展開されている。 その「村おこし」運動の中に身を置く一人として、現実の厳しさにいつも直面する。その度に「最初の予定通り静かな田舎暮らしを送ればいいのに」というもう一人の自分が現れる。いろいろと悩みながらも、最後は頑張らなくちゃ、という結論に達してしまう。がむしゃらに仕事をしてきた「団塊世代の性(さが)」とでもいえばいいのか。 十八年前、偶然にも南牧村と出合い、以来十五年間通い詰め、二〇〇六年三月から南牧村をベースにした生活をスタートさせた。通い始めて数年は、人里離れた山の上に家を借り、村人との接触は皆無に等しかった。都会で仕事をする者にとって、まさに別世界の快適な時間であった。週末の二日間だけでは飽きたらず、前後に休暇を取って三、四日ということも度々あった。そんな快適な生活に終止符を打ち、村人と接触する機会が多くなったキッカケがあった。これが結果として現在の村おこし運動の入り口だったのかも…。 現在のように高速道路も整備されていない道路事情の中、いつものように都内を通り、夜を徹して四時間以上の道程を走り続け朝早く南牧村に入った。借りている家目前の右側に、この村では信じられない看板が目に飛び込んできた。何と「スナック○○」であった。わが相棒と顔を見合わせ、「何だこれは」という言葉を発した記憶がある。その看板に吸い込まれるように、その夜、山を下りそのスナックへと足を運んだ。しかし、その日は地元向けの招待日で、一般客向けの開店はまだ先だということだった。仕方なく帰ろうとすると、店のママさんが「折角(せっかく)来たのだから、カウンターでよければどうぞ」と言ってくれた。図々(ずうずう)しくもその言葉に甘えた私たちに、飲めや食えやの大盤振る舞い。 この出来事から南牧村の人たちとの交流が始まった。来る度に店は満員で、村人の交流の場として、大きな役割を果たしていた。そこで村人と出会い、村の状況を知ることになったと同時に、「将来はこの村に住もう」という決意をすることになった。 南牧村は現在「日本一の少子高齢村」で、限界集落を多く抱えている。しかし、そこには日本の原風景があり、手つかずの自然そして歴史と伝統文化が息づいている。言葉を変えれば「宝の山」が眠っている。それを掘り起こしながら、村おこし運動を進めたい。 (上毛新聞 2008年12月31日掲載) |