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◎私たち自身の問題 私は職業柄、被疑者、被告人と接する機会があり、またその示談や裁判を通し、被害者の思いや境遇に通じていたつもりだった。しかし、数年前に私の事務所が侵入盗の被害に遭い、自分の認識が甘かったことを知らされた。 事務所の机の抽ひきだし斗という抽斗が引っ張り出され、頑丈とされていた米国製の金庫もこじ開けられていた。複数人が侵入した形跡があり、その荒っぽい手口から、もしその場に居合わせたら、単なる物取りでは済まない雰囲気を感じた。それから しばら暫くは、事務所のドアを開ける時、被害直後の光景が頭に浮かび、もしかして犯人がまたいやしないかという不安な気持ちにとらわれた。 これが、犯罪者から身体を傷つけられ、性的自由を奪われ、また生命まで奪われるなどの被害を受けた方やご遺族だったら、その思いはいかばかりであろうかと、被害者調書の字面だけを追っていた自分の不明を恥じた。 最新の犯罪白書によると、刑法犯の認知件数は約二百六十九万件、自動車運転過失犯を除いた一般刑法犯は約百九十万件ということであり、最悪だった二〇〇二年(刑法犯の認知件数約三百六十九万件)から見れば、その数は減少している。とはいっても、統計的に見ると、社会は一定数の犯罪を用意しているといわざるを得ない。 加害者がいれば、それに喘あえぐ被害者がいる。しかし、社会は被害者にあまりにも冷淡であった。これまで被害者は「忘れられた存在」とまでいわれ、犯人を捕まえ、処罰するための道具(モノ)でしかなかった。利用されるだけで何も知らされず、被害を受けてもまともな補償はなく、世間からは好奇の目で見られ、相談しようにも相手がいない。ひたすら忍従を強いられた暗黒の時代が続いた。 しかし、〇四年十二月に犯罪被害者等基本法が立法されて状況が変わった。欧米に二十―三十年遅れているといわれた被害者対策に光明が見えた。恩恵ではなく、権利としての被害者対策が施行されることになったのである。この立法を実現させた立役者は、被害者遺族を中心とする被害者自身であり、その活動の説得性により、超党派による立法をごく短期間に実現させたのである。 基本法の制定により、被害者対策は各論に入った。これを下支えするのは私たちである。犯罪被害は他人事などではなく、私たち自身の問題であるという意識が求められている。 (上毛新聞 2008年12月20日掲載) |