視点 オピニオン21
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NPO法人リンケージ理事長 石川 京子(伊勢崎市羽黒町)



【略歴】津田塾大卒。リクルート勤務後、東京大大学院修了。高崎を拠点に、発達障碍のある成人の就労支援、児童や家族への療育援助、サポーター育成のNPO運営。



人間という“冷蔵庫”



◎「あるもの」見つけよう



 時おり、“仕事虫”が騒ぎだし家に着くのが夜遅くなることがある。ここで何も食べなければ、おなかのやんちゃ坊主は静かになってくれそうにないし、明日への活力なんぞは絶対に私に微笑(ほほえ)みかけてくれそうにない。二十四時間営業なんていう気の利いたスーパーは自宅近くにはなく、頼りになるのはわが家の冷蔵庫だけである。扉を開ける瞬間頭をよぎるのは、タイのお刺し身や松坂牛、薫製のチーズ、ではない。半分使いかけの見慣れたニンジンやタマネギ、キャベツや豚肉たちである。そして、いつもの手順どおりに事が進み、二十分後には野菜炒(いた)め定食が食卓に並ぶのである。

 私の仕事は若者の就労支援である。その中に発達障碍(しょうがい)のある若者のジョブトレーニングがある。発達障碍は、ここ十年で日本でも認知されはじめ、また目に見えにくい障碍でもあるため、当人らに責任のないことで、生きにくさや苦痛を感じざるをえなかったといわれている。

 ジョブトレーニング生のAさんは三十年近く自分がアスペルガー症候群であると知らずに生きてこられた。幼少のころから自分はみんなと何かが違う、自分のどこが叱(しか)られているのかわからない、と感じてきた。そのころからの唯一の望みは、自分の行動をビデオで撮影し、一日の終わりにそのビデオを見て、どこがいけないのかを知ることだったという。

 その彼女がここ数カ月のうちに、ビデオに代わるものを自分の内に発見した。彼女自身がビデオの目を持つようになっていたのである。日々一緒にトレーニングをしている仲間の姿や行動を観察し、自分の特性や行動との共通項を事細かく書き出し、どうすれば人間関係や仕事での摩擦が起きにくくなるかを考えた。そしてその分厚い一冊のメモを片手にしていたら、働いてみようかと思える自分がいたのである。観察力と緻密(ちみつ)性、何かを達成したときに感じる喜び。これらが彼女の“冷蔵庫”の中には入っていたのである。

 われわれの仕事は彼女に新しい知識を与えることではない。どこか悪い部分を取り除くのでも、できないことを指摘して叱咤(しった)激励するのでもない。彼女が持っているにもかかわらず、まだあまり気づいていないものに目を向け、それをどう使ってきたかに敬意を払い、もっとうまく使うにはどうしたらいいかを一緒に試してゆくことにある。

 冷蔵庫を開けるとき、『ないもの』を探すのではなく、『あるもの』を見つけ、どうしたらその材料で美味(おい)しい料理を作れるか、知恵を使うのが人間である。それによって、今日のはらぺこ問題は解消し、明日が約束されるのである。それは私たち一人一人に与えられた人間という“冷蔵庫”の中身にもいえるのではないだろうか。





(上毛新聞 2008年12月13日掲載)