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◎教育と業務の観点で 大学入試センター試験は一九八八年、共通テストの試行から始められ、批判的な意見が多く出たものの続けられている。そこで、次のような状況から、入試制度を検討するように提言したい。 試験は、多額の経費をかけながら、悪い影響を教育界に与えている。試験問題をパターン化して、知識の詰め込みになり、感性や考える力を落としている。 実際、数学でさえ、型をたくさん覚え、時間内に解く技術ばかりが重視されて、本来の教育から大きくずれている。 教育には、多様性と個性を生かすことが大事であるが、型にはめ、一様な水準をつくり、特色のない大学を一様に育てている。センター試験の目指す教育とは人物たる人間教育や善良な市民を育てる教育とはかけ離れたものであり、日本国を覆っている無責任とモラルの低下を生み出している。教育とは何であるかの議論さえ忘れて久しく、魂の抜けた教育である。人間性を高める教育や創造性豊かな教育からは程遠いといえる。 また、世に数値化と標準化、規格化を進めている。長い間、同じような入試が続いたため、入試が専門的な技術を要求し、特殊な訓練を得た者が有利になっている。その結果、特定の学校に人気が集中し、経済的な豊かさが教育条件に反映する状況を生み出している。これでは、広範な生徒たちから多様な才能を引き出せない状況を進める。 教育には、人生や世界、自然のことにじっくりと思いを致し、友情が芽生え、育つような余裕が求められる。大学入試には柔軟に、余裕をもって考えられるような社会への変革が期待される。個性が生かせるような、多様な可能性を広げる変革である。 センター試験は、いわゆる世の秀才や優秀な人たちの才能もわざわざ鈍化させ、生かせていない。日本でも秀才教育や天才教育ができるような柔軟な制度の確立が求められる。 また、二日間にわたって、多くの教職員を画一的に働かせ、多額の国費を費やして、大きな負の仕事を行っている。 共通テスト開始のとき、多くの危惧(きぐ)と問題点が指摘されたものの、これで多くの人が大変な入試業務から解放されると期待したが、逆に個別入試を行い、第二次入試や、追試入試、さらに外国人入試や推薦入試、社会人入試、などと多くの入試が始められ、多くの教員は年中、入試業務に振り回されている。 大学の法人化後には、社会貢献や教員評価、受験生確保のために多くの仕事に追われ、教育・研究費の大幅減額とともに教育・研究環境の悪化に陥っている。財政厳しい折、まずは負の仕事をなくしたい。 (上毛新聞 2008年11月22日掲載) |