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俳人 鈴木 伸一(前橋市若宮町3丁目)



【略歴】国学院大卒。1997年より「上毛ジュニア俳壇」選者として多数の青少年俳句に接する。各地の小中高校で俳句授業を行い、青少年が俳句に親しむ環境づくりにも努めている。



子どもをほめる


◎自ら成長する力となる


 俳句はわずか十七文字の、まことにささやかな詩ではあるが、しかし、紛れもなく創作という主体的行為を通して、作者の内面から生み出されたものである。この点においては、大人の俳句も子どもの俳句も、何ら変わるところはない。ただ、子どもたちは本質的に素直であるから、大人の俳句に比べて、自己の内面のありようが、はるかに作品から透けて見えやすいということはいえる。これには、教師をはじめとする教育関係者が、もっと関心を持ってもよいのではないかと思う。

 ところで、十年にわたる上毛ジュニア俳壇の選を通して、また俳句授業などで直接、多くの子どもたちと接してきた中で、私が経験的に確信していることがある。それは、子どもたちはテストなどの成績を大人からほめられること以上に、自己の内面から生み出したものをほめられる方を喜ぶという点である。おそらく、自分の人格そのものを大人から認められたという気がするのだろう。ジュニア俳壇の選評で、私が作品自体の評価より、むしろ「子どもたちへの心の手紙」といった書き方を優先させている理由も、ここにある。

 そういえば、以前、こんなことがあった。ある中学校からジュニア俳壇に団体投稿された作品の中で、一人の男子生徒の句が目にとまった。そこには大人たちへの、また大人を中心とした社会への、挑戦的・反抗的な言葉が書き連ねられており、俗に言う「荒れた」生徒なのであろうことが推察された。しかし、隣に並んだ別の句には孤独感が漂い、それゆえの人恋しさや、やさしいまなざしが伝わってきて、私の心を強く打つものがあった。

 冒頭に、「子どもたちの俳句からは、その子の内面のありようが透けて見えやすい」ということを申し上げたが、揺れ幅のきわめて大きな、この生徒の内面をも、俳句は確かに伝達し得るものなのである。

 かくして、私はこの生徒の句を入選としたが、新聞紙上に掲載されて間もなく、担任の先生から、次のような内容の手紙が届いた。

 「普段は、授業でも教科書を開いたことなどないこの生徒が、自作の掲載後は進んで教科書を開き、ノートまでとっていました。その様子に、思わず笑ってしまいました」

 先生は、この生徒の豹変(ひょうへん)ぶりを笑ったのではない。この生徒の内面に隠れていた純真さや、評価されたことをきっかけに顕在化した、子どもが自ら成長しようとする力を目の当たりにし、何ともほほ笑ましかったのである。

 学校教育はもとより、家庭教育においても、やはり「ほめて育てる」ということは重要なのだと、あらためて思う。これは、二人の子を持つ親としての、私の自戒でもある。




(上毛新聞 2008年10月25日掲載)