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◎尊さはまったく同じ 最近、食の問題や環境問題などで思うことは、人間はつながって生かされていることの実感というか、「同じ生きものとして、他の生命を敬う」という、人間が本来的にもっていた純粋な感覚が、とっても薄れてきているんじゃないかなという危機感です。 あたり前のことすぎて普段は思いもしませんが、私たち人間は他の生命や空気や水や光などの存在なくして、一瞬たりとも生きられません。 地球という生態系は、たとえ人間がいなくても何の問題もなく持続できますが、人間は微生物や植物・昆虫・動物などの連鎖の力を借りなければ決して存在することができないことを忘れている気がするのです。 私はすべての生命は、地球という生態系から見たとき、その尊さはまったく同じだと思うのです。 人間でいえば、アメリカ大統領もアフリカの飢餓難民も、ノーベル賞受賞者も市井の一研究者も、グラミー賞歌手もストリートシンガーも…どちらが尊いとか尊くないとかがないように、地球というひとつの星から見た場合、人間も、動物も、昆虫も、葉っぱ一枚も、地球という生態系を形づくっている連鎖に関しては、まったく同じ重さだと思うのです。 もちろん、人間社会を考えたとき、人間を他から優先して考えるのは当然のことです。でも、このことを体感しながら生活するのとしないのとでは、行動に大きな差が現れるのではないでしょうか。 私は、環境問題も含めて現代社会が直面する課題の多くは、この視点が欠けている気がするのです。 私たちは常に「快適さ」を求めてきました。でもその追求は、自分や家族、社会や人間にとってのものであって、自然にとっての「快適さ」はほとんど考慮されてこなかったのだと思います。人間にとって自然とは、ただ利用するだけの対象だったからです。 でも今や、そのような一方的な搾取関係の上に成り立つ社会が持続不可能なことは明らかです。 「孝行のしたい時分に親はなし」と昔からいわれるように、あたり前にあるものは失うまでその尊さに気づきにくいもので、失ってからでは「すでに時遅し」です。 百年、二百年先の未来を考えて、自分たちだけではなく未来の子どもたち、そして他の生命の「快適さ」を求めて、まず日々の暮らしを見つめ直すことから始めてみませんか。 (上毛新聞 2008年10月24日掲載) |