視点 オピニオン21 |
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◎いつか語って伝えよう この一年、オピニオンとの素敵(すてき)な縁で、さまざまなことを話してきた。振り向くと「出会い」という言葉がキーワードであった気がする。たとえ良いことでも、悪いことでも、出会いから始まる、その先―。 私がまだ小さなころ、祖父・高橋元吉の生涯の友であった彫刻家の高田博厚さんが、戦争を挟んでの三十年をフランスで過ごした後、日本に帰ってきたのだった。元吉と父と何人かで駅に高田さんを迎えに行った。子供心に、三十年ぶりに逢(あ)う親友の出会いを、是(これ)でもかというくらい想像していた。抱き合って泣くだろうか、立ち尽くして見つめ合うだろうかなどと。 汽車が止まり、暗い夕暮れの光の中、人波が途切れたころ、高田さんが降りてきた。思ったよりも小柄な人だった。いよいよ、二人は近づく! どうなるのだろう! 私は胸が張り裂けそうなほどワクワクしていた。ところが、二人は近づくと「よお!」と言ってお互い握手をして、その後はまるで昨日会って話していた続きをするかのように、並んで歩き始めたのだった。 たった、それだけ。すべての空想を裏切られた私は呆気(あつけ)にとられたが、同時に「なんて男の人って、カッコイイんだろう!!」と感激した。きっと二人が初めて逢った時も、そんなふうに、永遠の友情を一瞬のうちに感じたのだろうと思った。小さな子が、その場所にいられたという、幸せな出会い。 人は出会うために、不器用に言葉を探し、見つめ合い、心を伝えようとするのか。 小学校のころ、一番私を怖がらせた夢想―。 いつものように学校から帰り、母が台所にいる。「ただいま」と声をかけると、振り向いた母は、私を知らない。町も家も、隣のおばちゃんも何も変わらないのに、ただ誰も私を知らない。その恐怖。今日こそ、帰ってそんなことが起きる。そう毎日思いながら恐る恐る「ただいま」と言う。母は笑って振り返り「お帰り」と言う。そこでフーっと安心するのだ。その繰り返しの日々。変な子だった。まるでカフカの変身のように。 何よりも、ほんのちっぽけな心も伝えられないという、深い孤独の恐怖。人間て、つくづく弱いものだと思う。だから、見つめる、話す、描く、笑う、泣く、歌う、動く、信じる…。 それでも伝わらない、もどかしい心の奥のこと。今は言ってはならない、深い悲しみ。とてつもなくバカバカしく、可笑(おか)しい話など。 いつか、語れるだろうか。 (上毛新聞 2008年10月21日掲載) |