視点 オピニオン21
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画家 ハラダ チエ(東京都杉並区)



【略歴】館林市出身。武蔵野美術大日本画学科卒。故片岡球子さんに師事。個展をはじめ、コンサートの公演ポスターやパンフレット、舞台衣装など多岐に作品を発表中。



向き不向き


◎個性を認め育みたい


 今私は、主婦と生活社から出される、成人式用の雑誌のために膨大な量のイラストを締め切りを気にしながら描きまくっている。といいながらも一番気にしていたのはこの「視点」の原稿であった。

 思い出すのは、私が中学生だったあるとき、国語の宿題で読書感想文を提出する前日、どうしても書き終わらず、次の日学校に持っていかなかった日のこと。学校のキビシイ先生は、家に取りに帰って今日中に提出しろとおっしゃった。私が嘘(うそ)をついて家に忘れたと言ったのが悪かったのだが、「明日でいいよ」の寛容な一言を期待していた。

 放課後、急いで家に帰る途中、英語の塾の先生と道ですれ違った。あとで「あんなに怖い顔の千絵ちゃんは初めて見た」と言われた。帰宅し震える手で、おおよそ許される分量の文字を埋めるために、あらすじやらあとがきやらを引用していった。

 その本は萩原葉子さんの『蕁麻の家』だった。そのころ母がよく、詩人の萩原朔太郎の長女である葉子さんのことを話していたせいか、興味を持っていた。

 しかし読んでいるうちに、人が一生をかけた壮絶な人生模様をそこらの中学生が適当な言葉で感想を述べていいのか、という気持ちになった。将来、大人になってこの本をしみじみと思い出し、何かを摑(つか)めたらそれでいいじゃないかと、私はいつもこんな屁理屈(へりくつ)を言っていたが、結局のところ「感想文」や「作文」が大の苦手なだけだった。

 今でこそ絵や文が暗礁に乗り上げたら、私の創造をサポートしてくれる「もう一人の私」とかいう存在が、いかにも体裁よく仕上げてくれたり、うまくいかなければ彼女のせいにする取り繕い方を身につけてしまったが、そんな姑息(こそく)な思い付きもなかった子供時代、考えすぎて何も書けなかった、あのころの方が今よりはるかに感性は澄んでいたに違いない。

 人には向き不向きがあるものだが、太陽を黒く描いて先生に直されたり、音痴だと皆に笑われたからといって絵や歌が嫌になることはないのだ。それぞれの個性だと認め合い、周囲がその環境を育(はぐく)みたいものである。そのことが人間の限りない可能性を温存してくれると私は信じる。

 ほろ苦くも懐かしい遠い日、私は自分で文章恐怖症のレッテルを張っていた。まだそれを剥(は)がすことはできないが、時間をかけさえすればなんとかなりそうな気がしてきたのは、一年間「視点」を書かせていただいてきた結果なのである。

 傍らで、おととし成人式を終えた大学四年の娘が、自分のページを持つ雑誌のための原稿をパソコンに向かってリズミカルに打っている。この光景をみて私は悟った。やっぱり私には絵を描く方が向いているな、と。





(上毛新聞 2008年10月13日掲載)