視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
新田史研究会事務局長 山田 悟史(太田市成塚町)


【略歴】1977年に社会保険労務士になり、98年から山田社会保険労務士事務所長。県社労士会理事、日本年金学会員、司法委員、調停委員(民事・家事)、1996年から現職。


大野先生の日本語研究


◎山ノ上碑の碑文評価



 さる七月十四日、大野晋(すすむ)先生がお亡くなりになりました。大野先生の生涯は日本語の起源、日本語の源流を求めての八十八年でした。それでは日本語の歩みを先生の説に沿ってたどってまいりましょう。

 【大野説】日本から七千キロ離れた南インドのタミル人が三千年前に日本へやってきた。時は縄文時代の終わり。タミル人は舟を操り、黒潮に乗って、北九州へやってきた。彼らは(1)コメ作り(2)金属器(3)ハタ織り―の三大文明をもってきた。これを俗に弥生文明とよぶ。タミル文化の伝来と一緒に、古代タミル語が古い日本語にかぶさった。タミルの文化と言葉と習慣が、日本の奥深く浸透した。ここに至り、日本語の原型、ヤマトコトバが生まれた。

 それを裏づけるため、双方に(1)約五百の言葉の対応があること(2)語順(文法)が一致すること(3)五七五七七の和歌が古代タミルからきていること―を立証。さらに考古学の上から、当時の南インドと日本の(1)農具(2)かめ棺(3)子持ち土器―の共通性を踏査。加えて、民俗の上から(1)小正月の祭り(2)しめ縄をはる、門松を立てる(3)餅(もち)を神に供える―などの共通点を列挙。

 大野先生は、弥生文明はタミルから、とされました。

 約三十年前に発表された衝撃的なタミル語日本語起源説。賛否いずれの立場でも、日本語史上もはや無視できない説になりました。

 そんな話は信じられない、と言われる方もありましょう。日本語の源は南インド、タミルにあり? 弥生文明はインドから? そういえば、アイウエオの五十音もインド産だそうです。ゼロの発見も、仏教も、カレーも…。

 先生の評伝を詳しく紹介した七月十五日付のある新聞によれば、先生いわく「新説には異論が伴う。百年後には正しさが理解されるでしょう。あのね、マダガスカル島の言語は、インドネシア語と共通するんですよ。母音終わりの日本語は、ポリネシア語とも共通するんですよ。舟を操り、ポリネシア、タミルから言葉がやってきても不思議ありません」

 著作はたくさんあります。『日本語の源流を求めて』、『日本語練習帳』(百万部超)、『日本語の形成』など。その中で大好きなのが一九六六年刊の『日本語の年輪』です。

 なぜなら、その中で、本県高崎市の山ノ上碑の日本語文を紹介されたからです。「漢字を道具として使い、日本語の語順で記した、この碑を忘れてはならない」と。

 山ノ上碑は上州人の誇り。日本語史の宝です。ちなみにタカラは、タミル語でtakaram。高い、貴(たか)き、に通じるそうです。





(上毛新聞 2008年9月26日掲載)