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郷土料理研究家 堀沢 宏之(伊勢崎市大手町)


【略歴】早稲田大教育学部卒。「郷土の食を食卓に」をモットーに活動する料理家。群馬のいいところを見つける「クレインダンス」という取り組みをしている。



郷土料理


◎生き残っていけるか


 おはっと、じゅんじゅん、おきゃあくり、しきしき、すろっぽ、まめらっつぇ。あまり聞かない名前だと思います。これらは、日本中に伝わる郷土料理の名前です。ある調査で募集したら、郷土料理だといって一万七千件の応募があったそうですから、全国隅々まで調べればすごい数になるはずです。

 ところで、そもそも「郷土料理」とはなんなのかですが、一般的には「昭和三十年代くらいまでの日本の各地域で作られていた料理」という意味で使われます。「昭和三十年代くらいまで」だなんてなんともあいまいですが、「経済成長が加速する以前」というふうに言ったらいいでしょうか。あるいはこれは、「貧乏が当たり前だったころ」かもしれません。暮らしは地域に密着していたでしょうから、今のように多くの食材は手に入りません。食材が限られれば手間をかけます。手間に工夫が加わって食文化となって、地域の共通言語としての郷土料理が生まれた、そういうことなのだと思います。

 「経済が成長する」というのは、「便利になる」ということです。便利になれば時間ができて余裕もできるというのは一ちょっと寸気の早いことで、便利になると逆に生活に追われて、暮らしに手間をかけなくなっているというのが実際のようです。郷土料理が流は や行らない理由の一つは、おそらくこれです。そもそも料理というのは食材に手間をかけることですが、こういう時代の売れ筋はもっぱらカンタン、ラクチン、とこうなります。

 いま郷土料理を作ることのできる人が確実に少なくなってきています。手間がかかる上、手間をかけなくてもおいしいものはいくらでもあるからです。おいしいものと言ったって、それは一口食べてすぐにおいしいとわかる、わかりやすいおいしさのことです。食べ物がすべからくわかりやすくおいしくなっているのは、便利がわかりやすさを求めるからというのもあると思います。おいしくたって味気ないものもいくらでもあるのですが、それはそれでよし、の風潮です。いい味出してる、というわかりにくいおいしさは、どうでもよいのかもしれません。

 限られた食材、調味料の中で作られる郷土料理ですが、今のわかりやすくおいしい料理に慣れている舌には物足りないんです。わざわざ手間をかけてまで作っておいしいならまだしも、そうでもなかったりします。これが、郷土料理がなかなか食卓に上ってこない理由の二つ目です。

 紙面がなくなりました。どうしましょう。中入りです。果たして郷土料理は生き残れるのでしょうか? そして郷土料理研究家も。次回もう一度、仕切り直しです。




(上毛新聞 2008年9月23日掲載)