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◎見抜く目を養いたい 開幕前からチベットとの関係悪化や大気汚染の問題など、不安材料に事欠くことのなかった北京五輪だが、何とか無事に閉幕し、その後のパラリンピックも私たちに数々の感動を与えて幕を閉じた。中国が共産主義国家だということで、内心、心配されていた皆さんは、ホッと胸をなで下ろされたことだろう。 だが北京五輪も開幕当時は、さまざまな“やらせ”の問題がメディアをにぎわした。開会式で打ち上げられた連続花火の映像が、実際はコンピューターグラフィックスによる合成映像だったとか、同じく開会式で、国内の調和を象徴すべく中国の国旗を手におのおのの民族衣装を着て行進した五十六人の子供たちは、いずれも銀河少年電視芸術団に所属する漢民族の子供だったという話は、ご存じの方も多いに違いない。 このような“やらせ”を含む情報操作は、一見、民主主義国家以外の、二十一世紀の今日においてもなお厚いベールに覆われた限られた国の専売特許のように考えられがちだ。しかし、民主主義国家の雄、米国においてさえ、世論を動かすためにさまざまな情報操作がなされている。 映画「大いなる陰謀」では、ベテラン記者のジャニーンが次期大統領を目指す共和党のアーヴィング上院議員から聞かされた対テロ戦争における新たな作戦を、プロパガンダと知りながら上司からの圧力に負けて特ダネとして報道してしまう。情報操作は、ウソ偽りを報道することばかりではない。事実の一部を隠し、知らせないこと、あるいは事実の一部を誇張して伝えることも情報の操作に当たる。 私たちはジャーナリズムに、事実をありのまま報道してくれることを望んでいる。しかし富士山が見る方角によって姿を変えるように、事実もまた、見る者の立場や見方によって、その顔を変えるものだ。そして権力者はその顔のひとつを取り上げ、あたかもそれが事実の全ぜんぼう貌であるかのようにマスメディアを通じて情報を流し、世論の支持を得ようとする。つまり、ある情報が信頼に足るかどうかを判断するのは、受け手側の私たちにかかっているのだ。 私は仕事柄、調べ物をするために、しばしばインターネットのお世話になっている。だがインターネットで得た情報がはたしてどの程度正確なのか、頭を悩ますことも多い。これと同じで、情報が氾はんらん濫する現代だからこそ、ひとつの事柄をいろんな方向から検証してみることが重要ではないだろうか。 人間としての弱さから、涙をのんで報道せざるを得なかったジャニーンの特ダネの裏に隠されているものを見抜く目を、私たちは日々、養いたいものだ。 (上毛新聞 2008年9月20日掲載) |