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東京芸術大美術学部彫刻科教授 深井 隆(東京都板橋区)


【略歴】高崎市出身。東京芸術大美術学部卒、同大大学院修了。1989年、平櫛田中賞受賞。2005年から現職。翼が付いたいすをはじめ、木彫を得意とする。




創る行為


◎生活の中の学び必要


 資源のない日本において「教育は最大の宝である」とよく言われる。江戸時代末期に西欧が日本に開国を迫り、西洋文明が流入した際も道を誤らずにすぐさま対応し、国の方向を進ませることができたのは、江戸時代の教育があったからだろう。日本は寺子屋で町人までもが読み書きそろばんを習っていたなどと、当時の欧米よりある意味進んでいたのだった。明治時代に訪れたヨーロッパの外交官などの中には、その時代の人々の生活が自国と比べてあまりに清潔なことに驚いたと書き残した人もいる。

 近年、大学において学力の不足が取りざたされている。少子化による全入どころか定員割れが問題になっている現状ではいたしかたないとは言っていられない。公立、私立を問わず淘汰(とうた)される時代に入ったと言えるが、そのことと学力不足の問題は別である。最近になってようやく「ゆとり教育」の見直し、方向転換がはじまった。いったい「ゆとり」とはどのような意味だったのだろう。

 さて、私は美術の教育に携わる者として学力の低下を憂うとともに、美術の時間、言い換えれば音楽や体育、図画工作などの授業時間の減少も大きな問題として考える。授業時間の減少は主な教科より、こういった科目のほうにしわ寄せがきているのが実情だからだ。

 国語の勉強だけで、感性が磨かれるのではない。本を読んだとたんに、暗い雲間に切り裂かれた青空を見て一瞬の永遠を作者とともに感動できるわけではない。たくさんの絵や彫刻を見たり音楽を聴いたりしながら、文章を書き絵を描く、また自身が風を感じながら皆と走る。そのような時間が日々の生活にあってこそ学ぶ教科が身につくと思うのだが。

 美術の話をもう少し。美術大学も少子化で全入、定員割れの大学も出てきている。ただ長年、入学試験を見てきているが、今のところレベルの低下は感じない。むしろデッサン等の実技はうまくなっているように思う。一つには美術科を持つ高校が全国に増えたこと、予備校の指導が徹底していることによるものだろう。しかし、技術的な勉強は確かに美術に必要だが、自身が後々作品を作るという行為に踏み込んだ場合、子供のころからの生活の中で学んだことが必要なのだと思う。

 言い換えれば、喜んだり悲しんだり、感動したりした時間の中の記憶がいかに大事か理解するのである。創(つく)る行為とはそのような心の湖に沈んだ小さな破片に光が当たったような時に生まれるのだから。「学ぶ」とはオーケストラの演奏のようにいろいろな学問がどこかで呼応しあい、一人の子供をおおきな大人につくる作業なのだと思う。



(上毛新聞 2008年9月17日掲載)