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◎いま一番欲しいもの 八月の暑い夏が終わろうとしている。私にとっては、一年で最も辛(つら)く重い日々である。八月六日、九日の広島、長崎の人道上許すことができない原爆投下。十五日の太平洋戦争敗戦の日。「終戦記念日」という言い方もされているが、国として戦(いくさ)に負けたことを認めた日を“記念日”として呼ぶのはどうもしっくり来ない。いずれも六十三年前の出来事だ。老い先短い私は、戦争の愚かさを想(おも)い、語りついでいくために、国が「世界から戦争をなくす運動月間」を定め、NGOを中核とした市民運動を起こし、充実発展していくいい夢を見ている。 昭和二十(一九四五)年五月上旬、私は広島飛行場に降り立った。熊谷飛行場から朝鮮半島までの特攻機(複葉の練習機)空輸の途次、給油のため立ち寄り一泊したのだった。夜、広島市街へ出る。出会う人たちは優しく親切だった。その広島の街並みが、三カ月後に一発の原子爆弾によって、一瞬のうちに灼熱(しゃくねつ)の焦土と化し、二十万人以上の死者が出るとは。神ならむ身の誰が想像し得たであろうか。 十月上旬、復員兵として広島駅へ着いた私は薄暮の中「あの街並みがない!! 市民の姿が少ない」と感じた。だが、朝鮮半島の教育飛行隊にいて軍隊ボケしていた私は「なぜ?」「どうして?」と考えるゆとりもなかった。東へ向かう列車の遅れが読めない長い待ち時間、戦友たちと駅構内でじーっと待つ。壊れた水道栓から流れ出ている水を、手で掬(すく)い喉(のど)を潤す。私の白血球が常に一万を超えるのは、放射能に汚染された水を飲み、列車待ちのときを残留放射能に曝露(ばくろ)していたからなのか。医師に聞いても「分からない」としか答えは返ってこない。 被爆された方々の多くは、がんを発症し諸病を患い病床に呻吟(しんぎん)し、精神的苦痛も大きい。この事実を知れば「核兵器を使ってはいけない。一刻も早く廃絶すべきだ」と考えるのが普通の人間だ。米国は、この被爆者(地)の実情に目と耳を覆い、いまだに「原爆投下は、戦争を早く終わらせるために必要だった」と譲らない。心の奥底にある罪悪感に蓋(ふた)をしないで、卒直に詫(わ)びたら如何(いかが)。 核保有国は、核抑止策でその優位性を保ってきたが、綻(ほころ)びが出始めている。そうなることは初めから分かっていた筈(はず)だ。力のある大国が、そのときどきの甘い判断で「力で他国を押さえ込む」という政治手法は捨て去るときが来ている。地球も人間も生命(いのち)は一つしかない。思いやりと優しさを基軸に据え、百年、千年というスパンで、平和の再構築をしてほしい。「いま、あなたにとって一番欲しいものは何?」と聞かれたら、迷わず「平和を」と答える人は世界に多い。「平和」はすべての出発点だ。 (上毛新聞 2008年8月25掲載) |