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◎町の顔が解体される 「駅というのは町の顔」なんというふうにいうそうです。訪れた先で右も左もわからないようなとき、まずはどこに駅があるのかを探してみたり、それが電車の旅ならば旅の始まりはその駅からということになるでしょう。駅というのはいってみれば、町の記憶の出発地みたいなものかもしれません。 私は昨年の暮れにJR伊勢崎駅のすぐ近くの古い家に引っ越してきまして、普段の生活は自転車、ちょっと出かけるときには電車でという贅沢(ぜいたく)な暮らしをしているのですが、この伊勢崎駅というのがまた、いい顔をしているんです。 木造二階建てで改札口から見上げればステンドグラス、随所に当時をしのばせる洋風建築の名残があったりしまして。創業は一八八九年、今の駅舎が建てられたのは一九三四年といいますから、人間で言えばこの駅舎は七十四歳です。正面から見ると左側に以前貴賓室があったという二階部分がある。真ん中にはご存じ丸時計。駅舎が顔なら、この時計はさしずめ目玉といったところでしょうか。 両毛線でいうと桐生も前橋も高崎も同じ近代化された立派な建物ですので、そのなかに伊勢崎駅のような未開?の駅があるとなんだかほっとします。人間の居場所がある、いい顔をしているというのはそういうことでもあるかもしれません。便利というのは多かれ少なかれ、人間を疎外してしまうものですから。 料理を作るときにもいえることですが、あんまり便利が過ぎてくると、たとえばレシピに振り回され過ぎたり、ただそれを入れて炒(いた)めればいいなんていう調味料が増えてくると、いったい誰が作った料理なのかがわからなくなります。まずくはないんだけど何を食べてもおんなじ味、といったようなことです。こういうのを畢竟(ひっきょう)、「味気ない」というのですね。 いい顔をしている伊勢崎駅の駅前には、何を食べてもおんなじ味のチェーン店はありませんが、なんだかやみつきになるもんじゃの店はあります。流行(はやり)のスイーツの店はなくても、まんじゅうを買いに行くと時々アイスキャンデーをおまけしてくれるまんじゅう屋はあります。「いらっしゃいませこんにちはー」のコンビニエンスストアはありませんが、「相変わらずマズイもん作ってるか?」と声をかけてくれる町医者がいます。家が古けりゃ雨漏りもしますけれど、一緒んなって穴をふさいでくれるお隣さんがいます。 いい顔をしている伊勢崎駅は、その名の通りいい味を出している地域社会とともにありました。その伊勢崎駅の駅舎が、もうすぐ解体されるそうです。 (上毛新聞 2008年8月7掲載) |