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◎ 本当に幸せなのか 地球が生まれて三十六億年。一滴の水から生命が生まれ、これまで何百万種の生命が現れ、この地球上で生きている。人間もその「種」の一種である。人間はこの地球上に存在する生命体の頂点に君臨し、横暴に、身勝手に振る舞い、すべての生命体が生存する母なる大地「地球」を汚し続けてきた。 今月七日から九日にかけて世界の主要国首脳が集い、福田康夫首相が議長となって「北海道洞爺湖サミット」が開催された。この会議で地球環境の問題が主要な議題となり、二〇五〇年までに世界全体で温室効果ガス排出量を半減させるとの地球温暖化対策の長期目標について「気候変動枠組み条約の締結国と共有し、選択を求める」ことで合意した。 主要国それぞれお家の事情があり、合意内容はかなり玉虫色となった。 より豊かに、より便利に、という人間の欲望に流され、経済優先社会の中で、果たして人間一人一人が痛みを共有できる社会が構築できるのであろうか。かなり困難である事をうかがわせたサミットであった。 とはいえ、地球上に住むわれわれ人間の一人一人が地球温暖化防止に取り組まなければ人類は遠い将来、絶滅の危機に直面することになる。 それではどうすれば良いのだろうか? 経済優先社会から、環境優先社会へと転換しなければならない。より豊かに、より便利にを追求してきた人間にとっては至難のことだ。しかし、やらねばならない。 人間と他の生物および自然界との共生を考える社会にしなければならない。 自然界に生を受けるもので延命措置を講じて平均寿命を延ばしているのは「人間」(特に先進国)だけ。こんなことがまかり通っていいのだろうか。神への冒涜(ぼうとく)といえるのではないか。 長寿社会になってかえって不幸になることさえある。 少子高齢化が進行し、親子の二世代世帯が減少し、ゆくゆくは老人施設へ入所し、他人の介護で老後を生きていかなければならない。また、自宅においては夫婦がともに年を取り、七十歳代の老人(子)が九十歳代の老人(親)を看病するという老老介護。看病に疲れ果て心中する人も増えているようだ。 さらに後期高齢者医療負担も増え、高齢者に幸せな社会と言えるのだろうか。 老後、機械で延命措置を講じることは医療費がかさみ、国家財政を逼迫(ひっぱく)することにもなる。私たちはほんとうに長寿社会を望んでいるのだろうか。機械による延命措置は講じず、「種」の一種として自然体で生きていくことが地球上に生きる生物としての本質ではないか。 (上毛新聞 2008年7月29日掲載) |