視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
県読書グループ連絡協議会会長 長 京子(桐生市新宿)

【略歴】 前橋女子高、群馬大学学芸学部を卒業。結婚を機に1964年に桐生に移り住む。桐生市読書会連絡協議会を皮切りに婦人会などで活動している。

桐生のまち

◎一丸となって活動を

 前橋から桐生に嫁いだのは昭和三十年代でした。もう戦後という感覚はなくなり、高度成長がスタートするころでした。

 当時の桐生のまちは、若い人たちが生き生きと闊歩(かっぽ)し、カラフルなイメージを強く持ちました。地味な勤め人のまち、前橋とは違った印象を受けたものです。

 嫁いだ地域は機屋が多くてガチャコンの音がにぎやかでした。専業主婦の私が近くの神社で子供を遊ばせていると、通りがかりの人が「奥さん、働かなくていいんかい」と声をかけていくような、女の人が忙しく働く土地柄でした。

 あの当時、前橋には幼稚園が三つだけだったのに、桐生には小学校区ごとに幼稚園があり、「女性の働くまち」を実感させられたものです。

 公民館は中学校区ごとに整備されていき、東毛地区や県の公民館研究集会に出席すると、桐生が公民館の充実したまちであることを知りました。公民館は今、高齢化社会を反映して、生涯学習の拠点として大いに活用されています。十年前に結成された桐生市サークル連絡協議会は全市を網羅する生涯学習の一大拠点に成長しました。

 しかし、働く女性の味方だった幼稚園は、全市で数園に統合されようとしています。少子化の時代、学校統合問題が現実のテーマとなっており、適正規模を図るべく中学校では統合が始まり、統合後の中学校には「活気が戻った」との報告を聞いています。

 小学校も、少ないところでは二百人を割るようになっているそうです。先日、各学年一クラスの小規模校と各学年三、四クラスの学校を訪問する機会がありました。複数クラスを持つ学校のにぎやかな活気に触れ、私たち大人の責任の重さを感じさせられました。

 明治の県令、楫取素彦(かとりもとひこ)が「新宿学校」と揮毫(きごう)してくれた桐生・南小学校の地域でも、小学校の存続が話題となっています。ことは子供の教育のことですから、慎重な判断が求められるのは当然です。

 桐生のまちからは若者の姿がずいぶん減りました。「シャッター通り」の言葉が象徴するように、目抜き通りは閑散としています。かつては「西の西陣、東の桐生」とうたわれたまちから、往時の面影を探すのが難しいほどです。

 高い高齢化率を逆手にとって、高齢者に住みよいまちをアピールするのも一考ではないでしょうか。東京から二時間足らずの、森林浴のまちとして売り出すのはいかがでしょうか。

 桐生の市民は、個々にユニークな活動をしている人が多いのに、まとまることはどうも苦手のようです。まち全体が一つになって燃えるような活動を真剣に模索する時期だと思うのに、残念でたまりません。






(上毛新聞 2008年7月24日掲載)