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◎きっかけは『宝島』 自宅に児童図書室を開いたきっかけは一冊の本を手にしたことにある。一九五○年の暮れに、岩波少年文庫の刊行が始まり、その第一冊目がスティーブンソン『宝島』(佐々木直次郎訳)だった。昔読んだ懐かしさに買って帰り、早速読みはじめたところ、たちまち引き込まれてしまった。昔読んだのは抄訳本かリライト本だったろうが、少年文庫は完訳主義だから、細部が活々(いきいき)としている。こどもの本はこんなに面白かったのかと、目からウロコの思いがした。 とりあえず少年文庫は全巻予約をして、その後は絵本にも目配りするようになった。六○年代に入ってからの福音館書店の絵本も新鮮な驚きがあった。 たまたま手にした翻訳絵本に、誤植と印刷上のミスを見つけ、出版社にハガキを出した。返事は期待しなかったが、思いがけず丁重な返事が来た。差出人は岩波書店児童図書編集部小林静江とあった。 あまり意外だったのと、同姓の気安さから、こどもの本の感想などを書いた手紙を出し、手紙のやりとりが始まった。二年ほどたったある日、こんな手紙が来た。 「本というものは、ひとりでも多くの人に読まれるように、という願いをこめて送り出されるものです。小林さんもずいぶんこどもの本を読んでおられるようですが、読んでしまった本は玄関先にリンゴ箱を積んだ本箱でも結構ですから、近所のこどもに開放してあげてください」 これを読んで少し腹が立った。公務員の安月給から、一冊一冊吟味して買った本だ。読み終わったからといって不用になったわけではない。第一、こどもに本を貸し出したりしたら、破られたり汚されたりするだろう。 そう思って一カ月も返事を出さないでいると、こんな手紙が来た。 「先日は差し出がましいことを申し上げ失礼しました。実は私の家でも小さな文庫を開いています。上京の節はぜひお立ち寄りください」 暫(しばら)くして上京する機会があり、案内図を頼りに「ふきのとう文庫」を訪ね、文庫を見せてもらった。勤めをしながらでも文庫活動はできそうな感触を持ったが、いざ帰ろうとすると、重くて荷物になりますが、小林さんのために用意しましたと、何か包みを寄越(よこ)そうとする。結局持たされ帰宅後に開けてみると、ブックカードとポケットが五百組入っていた。戦災家屋を建てかえ、六九年に文庫を開き、八四年まで続いた。 (上毛新聞 2008年7月23日掲載) |