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◎自ら範囲狭めないで 「音楽は小さいころからやっていないとダメでしょうか」とよくきかれる。確かに楽器を演奏する技術というのは訓練によって得られるので、早い時期に始めて継続したほうが有利に決まっている。しかし楽器が演奏できるということと、音楽の楽しさが実感できることとは別なのだ。 大人になってから楽器を始めたり再開すると、指が動かないなど悩みのオンパレードとなる。どうせ今からでは無理だろうとあきらめてしまうことも多いようだ。 しかし技術的な苦心があっても、曲に対する理解やセンスが素晴らしい魅力的な演奏に出会うことがよくある。一生懸命学んだことや長年育(はぐく)んだ音楽性が花開いているのだろう。技術的なハンディなどなんのそのだ。 この時期、県内の高校が進路指導の一環で行う「大学の出前授業」に伺うことがある。生徒のみなさんは実技でない講義に、最初は少しとまどうようだ。そこで身近な「ドレミ」、つまり西洋音楽が広く日本に入ってきた明治初期を話題にしてみる。 政府が洋楽を普及させるために音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)という役所を置き、制定した唱歌は代表的な日本の歌と思われがちだが、実は「蛍の光」はスコットランドに、「ちょうちょう」がスペインにルーツがあることなどを話すのだ。 さらになぜ洋楽を普及させる必要があったのか考えてみようと呼びかけると、俄然(がぜん)高校生の瞳が輝いてくる。音楽を学ぶのは何も専門家になるためだけではなく、音楽を通して「世界に触れる」ことなのだと気づいてくれるようだ。高校生ならこの範囲と限定せず、興味があることにどんどん踏み込んでゆくと、他の教科にも繋(つな)がってゆき、苦手な授業も楽しくなるよ、とアドバイスさせてもらっている。 「この年齢ではこの勉強」「この勉強はこの年齢」といったバリアーはすでにボーダレスになりつつある。学ぼうと思えば図書館や大学などの公開講座、インターネットや放送大学など、今、日本の「学びの環境」は人類史上最高レベルだ。年齢や技術を、できない理由にするにはあまりにももったいない。 梅雨があければ果てしなく広がる夏の空。以前、放送大学の「宇宙像の変遷と人間」という科目で「ケプラーが聴いた天上の音楽」を作曲し演奏させていただいたことがある。物理が大の苦手の私だったが、おかげで今では星空が大好きだ。 (上毛新聞 2008年7月16日掲載) |