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◎言語表現の特徴示す 子どもがようやく言葉を話し始めた二歳か三歳ころのことだが、機嫌良く遊んでいる時に昼寝をさせようとした際、「お昼寝キライ! ねむい!」と言って抵抗したので、おかしくて笑ってしまったことがある。 「ねむい」のであれば昼寝をすればいいわけだから、昼寝に抵抗することと自分の状態を「ねむい」という語で表すことが矛盾している点をおかしく感じたのである。こうした発言をする子どもは「ねむい」という語の意味や使い方をまだ習得しておらず、間違って使っていると考えるのが常識的な見方かもしれない。 しかし、子どもの間違った言葉の使い方にもかかわらず、私たちは子どもの気持ちを理解することができる。子どもがその時「ねむい」という語を「いやだ」という語とほぼ同じ意味で使っていたことは、状況や子どもの態度、あるいは直前の「お昼寝キライ!」という言葉から見当がつくからである。 ただし、「ねむい」という語のここでの意味が、状況や文脈に完全に依存しているかというと、決してそうではない。もし状況や文脈に完全に依存しているなら、「ねむい」という語の代わりに「あまい」という味覚に関する語や、「ポポ」という無意味な音を発したとしても、それらの語や音も「ねむい」という語の場合と同じように、状況や文脈から「いやだ」という意味で用いられていると推測できるはずである。 しかし、子どもがもし「お昼寝キライ! あまい!」とか「お昼寝キライ! ポポ!」と言ったとしたら、私は笑うどころか不安になったであろう。 一見すると間違った言葉の使い方がなされているようにみえる「お昼寝キライ! ねむい!」という発言において、「ねむい」という語は決してデタラメに用いられているわけではない。「お昼寝」という語も「ねむい」という語も、ともに「寝る」ことに関かかわる語ご い彙である点で共通している。また、つまらない話を聞かされたとき、私たちはしばしば意識を集中することができず「ねむく」なるし、退屈な話を評して「ねむい!」と言うことさえある。 そうであるならば「お昼寝キライ! ねむい!」という発言は、やりたい遊びが禁じられてつまらない状態になってしまった自分の気持ちを、子どもが習熟している数少ない語彙である「ねむい」という語によって表現したものと考えてよいだろう。 子どもの発言は「ねむい」という語の誤用どころではない。限りなく複雑かつ多様な世界を、限られた語彙で表現することを可能にする言語表現の特徴を示すものであり、言葉の弾力性やダイナミックな表現力の発露に他(ほか)ならない。 (上毛新聞 2008年7月6日掲載) |