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◎他者あってこその自分 ずーっと昔の話になるが、某新聞社の世論調査に参加した。ときの政治への関心度の面接調査だ。調査対象になったのは、私も顔見知りの五十歳代の農家の女性。調査の趣旨をお話しして、設問事項に入ろうとしたが、「あたしはそんな難しいことは分からないよ」と、のっけから拒否された。「偉い人のやっていることは、私たちに関係ないよ」とにべもない。 その言葉に共感を覚えながら、私も調査のことなど半分忘れ、庶民の身近な生活に話題を変えておしゃべりをしていると、調査員(私)への警戒心も薄れてか、政治への不満や要望が、堰(せき)を切ったようにポンポンと出てくるではないか。 ころ合いを見計らって本題の調査項目に話を移し、無事に調査を終えた。「そんな難しいことは分かんないよ」といわれたことに、「このおばちゃんじゃ無理はないなあ」と、心の中で思っていた自分が恥ずかしくなった。 人間誰しも自分の置かれている立場を大事にするのは当たり前だが、「他者があって自分が存在している」という現実を忘れがちになる。どんなにいい芝居だって、観客がいなければ成り立たないのだ。優れた経営者はそんなことは百も承知のはずだ。 だが今年に入って、日本の経営者のトップに座(ざ)する人の「経営者をもっと尊敬してほしい」という言葉が新聞に載っていた。しばらく前から「立派な経営者だなあ」と注目していただけにがっかり。私の評価は急転、奈落の底へ落ちてしまった。大企業でもその他の組織でも、そこに働く人たちが自分の仕事に誇りを持ち、自信と責任を持って営々と努力するからいいものが生まれ、その集団が成長し、社会の信頼を得て実績が上がるのだ。 官僚だって同じことが言える。民間と違うのは利益を求めず「国民の生活や生命(いのち)を守る」という、企業にはなじまない大きな仕事があるからだ。現実はどうだろうか。厚生労働省は薬害から国民を守り得ただろうか。環境汚染を防げたのであろうか。業界に顔を向けて様子見ばかりしていたので、「公害列島」などという忌まわしい言葉も生まれてしまった。四大公害裁判に象徴されるように、被害者(住民)が立ち上がって運動を進め、多くの協力者(学者・弁護士ら)が一緒になって闘い抜いたから、裁判にも勝訴できたのだ。政治や行政はいつも後追いに過ぎない。 労働者の権利や生活は高められたのか。どうも力不足の結果が、かつてない労働市場となり、働けど働けど、人間の尊厳を維持しにくい人が多くなってしまった。政治家も官僚も労働組合も、心してこの問題の解決に全力を挙げて欲しいものだ。 (上毛新聞 2008年7月5日掲載) |