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俳人 鈴木 伸一(前橋市若宮町3丁目)

【略歴】 国学院大卒。1997年より「上毛ジュニア俳壇」選者として多数の青少年俳句に接する。各地の小中高校で俳句授業を行い、青少年が俳句に親しむ環境づくりにも努めている。

個性を生かす

◎社会性とバランスを

 先日、四年生の長女が通う小学校の授業参観に出かけた。長女のクラスは図工で、粘土の作品づくりに取り組んでいたが、すぐ隣の三年生の教室は国語の授業で、夭折(ようせつ)の童謡詩人・金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」を、子どもたち全員で暗唱していた。

  すずと、小鳥と、それ  からわたし、

  みんなちがって、みん  ないい

 よく知られた詩の最後の一節であるが、校舎中に響き渡るような元気な声を聞きながら、前回(四月二十九日付)で触れた「ものの見方や感じ方の違いを互いに認め合うこと」の大切さを、あらためて思い出したのであった。

 ところで、仮にこれを個性の伸長、あるいは尊重などと結びつけて考えることができるなら、例えば小学校で二〇一一年度から、中学校で一二年度から全面実施予定(一部は来年度から前倒し実施)の「新学習指導要領」の「総則」冒頭部分に明記された「個性を生かす教育の充実に努めなければならない」という点とも合致し、教育現場における特に重要な指導目標の一つということになるだろう。

 もちろん、これまでも「子どもたちの個性を生かす教育」は重要であったし、これからも同様に重要であることは言うをまたない。しかし、その一方で、俳句授業を通して私が思うのは、これは創作行為(俳句や詩や作文、図画工作など)を伴う単元にはおおむね妥当するであろうものの、あらゆる場面に当てはめることが可能かどうかについては、但(ただ)し書きを付けておいた方がよいかもしれないということである。

 なぜなら、学校は子どもたち一人一人の個性をはぐくむ場であると同時に、集団生活を通して規範意識や協調性などといった、一種の社会性を学習させる場でもあるからである。

 「<みんなちがって、みんないい>と教材でも扱ったり、学校教育の現場でもよく引用されたりします。しかし、実際のところ『個』の表現を丸ごと受け入れる場というのは意外と少なくて、そういう意味でも俳句表現に価値を感じています。群(集団)の表現とバランスをとっていくと、より幅が広がるようです」

 これは、北毛地区の小学校で俳句指導を続けているY先生の意見。ある研修会の資料とするため、「上毛ジュニア俳壇」に積極的に取り組んでいる学校の教師にお願いしたアンケートへの回答の一つだが、「個」と「群」、すなわち「個性の尊重」と「社会性の涵養(かんよう)」の双方をどう生かしてゆくかを考える上で、たいへん参考になるだろう。

 このほかにも、アンケートには示唆に富んだ意見が随所に見られる。次回はさらに多くの例を挙げ、指導する側から見た青少年俳句について述べてみたい。






(上毛新聞 2008年7月3日掲載)