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◎愛情に満ちた8年半 先月、大切な家族を亡くした。東京で六年、そして八街に越してきてからの二年半を共に過ごした茶トラの猫、チャ太郎だ。 生まれた時から犬や猫に囲まれて育った私だが、留学先から連れて帰った猫のリチャードを亡くしてからの十年余りは、仕事に夢中で四本足のパートナーを持とうという心のゆとりがなかった。 だがそんなある日、ふとしたきっかけでチャ太郎と出会ったことで、思いがけず愛情に満ちたすばらしい体験をさせてもらうことになった。 チャ太郎は仔(こ)猫の時、一度は人に拾われながら、かわいい盛りを過ぎるにつれて十分な世話を受けられなくなってしまった。大通りに面して並んだジュースの自販機裏の狭いスペースが彼のすみかで、私はそこに朝晩、食べ物を持って通った。その大通りで車にはねられた猫たちを何度となく見てきた私は、彼の身が心配で、会うたびに「車やバイクには気をつけなさい」とか「ボス猫が来たら道を渡らないで路地へ逃げるのよ」などと言い聞かせた。 「猫は話しかければかけるほど賢くなる」と何かの本で読んだことがある。それが嘘(うそ)ではないと実感させられる出来事は何度もあったが、チャ太郎と並んで歩いていて、アパートの塀を渡って近道しようとした彼に「お姉さんは塀を渡れないんだから、チャ太郎ちゃんもちゃんと道を歩いてちょうだい」と言うと、戻ってきて再び私と一緒に歩きだした時は、かなり驚いた。 You can under− stand my language, but I can’t understand yours. And it’s us that’s supposed to be the most intelligent. (お前には俺(おれ)の言葉が分かるのに俺にはお前の言葉が分からない。なのに世間では人間が一番賢いということになってる) これは三年前に翻訳した映画『名犬ラッシー』の中で、家路をたどるラッシーと数日を過ごした旅芸人のローリーが、別れ際にラッシーに言うせりふだ。まさに、そのせりふどおり。自分の訴えを理解してもらえず、チャ太郎はどんなにイライラしたことだろう。 でも彼は私のふがいなさも人間の身勝手もすべてを許し、八街への移転の際も黙ってついてきてくれ、その命が燃え尽きるまで私のそばにいてくれた。人間にはとてもまねのできない我慢強さと、一片の曇りもない一途(いちず)さを見せつけて。 人間は道具を使いこなし支配することで、自らがこの地球(ほし)で最も優れた、唯一絶対の存在と錯覚して生きている。だが人間以外の仲間たちの生きざまを通して、私たちが教えられることは想像以上に多い。 (上毛新聞 2008年7月2日掲載) |