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◎わが身は自分で守る 近ごろ、安全をおびやかす重大事件が二つあった。 一つは東京・秋葉原の通り魔殺傷事件。最も安全であるはずの日曜日の歩行者天国が一瞬にして地獄に変わった。その凶悪な行為にしろ不可解な動機にしろ、まったく社会常識から懸け離れたものであることは明らかだが、ほかにも同種の事件が発生していることを見れば、その深刻な病根が現代社会にあることも否定し得ないであろう。 もちろんこうした病根を速やかに取り除き健全な社会を築くべきであるが、そのことはさておき、このような災難からわが身を守るためには、日常生活においても周囲の状況に気を配り、険悪な気配を感じたらすぐ逃げるという自己防衛を身につける必要がある。どんなにすぐれた社会になろうが、安全は最終的には自分自身で確保するしかないものである。 もう一つは、地震の脅威である。私の職場は森林であるから、現場にいたとき地震が起き、あのような大崩壊が起きたとしたらと背筋の凍る思いがした。 岩手・宮城内陸地震が平日に起きていれば、多くの同僚が遭難したに違いない。ふだんは優しげに私たちを迎えてくれる森林も、大自然の猛威の前にはなすすべがなく、ここから生還するには90%の運と残り10%の自助努力、これに全知全能を傾けるしかない。 もっとも自然というものはふだんから危険の固まりのようなものである。いつどこで落とし穴が待っているのか分からない。 天気がよくても山は崩れることがあるし、枯れ枝が落ちてくることもある。都市とは比べものにならないほど自然の中は危険に満ちている。あらゆる危険を五官で感じとって(危険予知)注意深く行動する必要があるのだ。そのためには経験の積み重ねも大事である。 駒の湯温泉での悲劇は、最初の地震の直撃は運よくかわしたのに、十分後に到達した土石流によって引き起こされた。だれもが予想し得ない事態である。 しかし、次の地震からは、渓流沿いは土石流の危険があるので、速やかに高台の安全な場所に避難することになる。多くの犠牲の上に貴重な教訓が生まれるのである。海岸における津波と同じで、地震の直後はどうやら水に近寄らない方がいいようである。 考えてみれば、日本列島はその成り立ちからして危険極まりない。また風水害を受けやすい立地にもある。しかし、私たちはすぐれた科学文明と社会組織によって守られ、それらの危険を忘れたかのようである。 こうした事態を踏まえて、あらためて個々人の危険に対する認識を深め、何があっても生き抜くという力を養いたいものである。今日から全国安全週間(七日まで)が始まる。 (上毛新聞 2008年7月1日掲載) |