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染織家 伊丹 公子(島根県津和野町)

【略歴】 岡山県出身。京都で染織作家として活躍。1999年に島根県に移り住み、2000年から津和野町の「シルク染め織り館」館長。玉村町で手織り教室を主宰。

病に倒れて

◎自分だけの体でない

 四月十四日、前橋市のホテルへ着くなり、三九度以上の熱が出た。それでも玉村町の手織り教室へ毎日出かけたが、四日目にとうとう倒れてしまった。責任を果たさなければと無理したことが結果的に生徒の皆さんに心配かけ、迷惑をかけることになってしまった。

 「休んでください」という言葉に耳を傾けなかったため回復が遅れ、一カ月余りずっと微熱が取れなかった。結局、五月の教室を休むことになってしまい、生徒の皆さんや友人からメール、電話をたくさん頂戴(ちょうだい)したにもかかわらず、メールを打つ力も、声を出す力もなく、皆さんをやきもきさせてしまった。

 そういえば、三月に九十九歳の母に会った折、私の顔を見るなり、「疲れた顔をしているよ。お願いだから無理しないでよ。倒れるから」と言われていたのだ。それなのに…。

 三年前も母に会ったとたん、「目が死んでいる!!」と言われ、その翌日、出先の大阪で救急車で運ばれ、入院したことがあった。

 昨年十一月、子、孫、曾孫(ひまご)まで総勢四十五人が集まって盛大に母の白寿の祝いをしたばかり。

 今回も母いわく「六十四歳になっても娘は娘です。小さい時からあまり丈夫でないあなたが好きな仕事とはいえ、無理をしているからずっと心配しているのよ。お願いだから、私より先に逝くことだけはしないでね。それほど悲しいことはないのだから。九十九歳の私がまだ生きているのよ」。

 私のことを思い、涙ながらに電話口で「頑張って治して!!」と励ましてくれる母に、自分だけの体でないことを痛感させられた。一人でも多くの人に織りの技法や文化を伝えたいし、息子夫婦、娘夫婦とその孫たちの顔をもっと見たい。九十九歳の母のずっしり重い愛にも応えたい―。これからは年齢以上の無理をせずに生きたいと思った。

 今回の病では教室の生徒さんたちが私の身をいたわって見事な連携プレーを見せてくれた。また、毎日神様にお祈りしてくださる友、津和野のシルク館を守ってくれている研修生、それに、一カ月半至れり尽くせりの看病をしてくれた息子夫婦と四歳の孫娘など、多くの人たちの励ましによって生き返ったようで、心より感謝している。

 今回ほど病におびえ、自分の体に自信をなくしたのは初めてのような気がする。でも、そんな思いは私には似合わないと自分に言い聞かせ、あとどのくらい教室ができるのかなどとは思わないようにしよう。一日も早く元気になろうと毎日点滴を受けながら、生徒さんの顔が一人一人浮かんでくる。命が尽きるまで織りの世界から離れられないであろう自分に苦笑している。






(上毛新聞 2008年6月14日掲載)