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利根生物談話会会長 小池 渥(沼田市西倉内町)

【略歴】 長野市出身。信州大卒。長野県蚕業試験場松本支場勤務を経て、1954年から県内公立高校で生物教諭を務め、91年に武尊高校長を最後に退職。

桑の葉

◎食用や繊維原料にも

 五月十四日付のこの欄で桑の葉が食用になることを書いたところ、知人より早速、近所から桑の葉を摘み、細かく刻んですしご飯を作ったという便りが届いた。野菜・果物などは今では八百屋かスーパーの食品売り場で購入するのが当たり前になっているが、桑なら元桑畑の垣根桑(かきねぐわ)などで残って生えているところが多いので、簡単に入手できる。天ぷらなどにしてみてはどうだろう。

 植物学上の見地から見ると、桑は通常単性花(雄花=四本のおしべ、雌花一本のめしべ)で風媒花。育種の場合は簡単に交配ができるが、注意しないと雑種交配になる恐れがある。桑の良質の品種を作り出すために多様な試験研究がなされてきたが、信州大学の関博夫博士が昭和二十年代後半にコルヒチン処理により染色体の倍数体の作出に成功し、形質(葉の成分、大きさ)の良質化により育蚕に貢献されたことは有名だ。

 養蚕を体験された年配の方はご存じだろうが、春蚕、夏蚕、初秋蚕、晩秋蚕と、飼育期により桑を収穫する適期や技法は異なった。現在のように省力化された飼育法(人工飼料の改良など)に変化してきたものの、営農法や国民の食生活の変化などから、残念ながら、養蚕王国群馬も県内各地の実戸数は激減してしまった。

 原因の一つに幼虫から蛹(さなぎ)にならないような変態抑止の農薬の使用による未曾有の大被害が影響している。無農薬の桑園に対し、農薬を使う他作物の栽培上、長年継続してきた養蚕をついにあきらめざるを得なくなった農家がいる。

 また、一九八一年五月、八六年六月のように土地柄による低温降霜害で掃き立て直前の桑葉が、一朝にして全滅という気象災害に泣くこともしばしばだった。

 その場合、沼田から南の渋川、前橋あたりの大養蚕農家から余り桑を買い、車で運ぶという大変な労働を強いられた。そうしてまで養蚕を継続した方々の姿を傍観したことがあるが、難儀をされたことと思う。

 農業形態が大きく変遷(へんせん)し、ハウス栽培などによる作物の導入があって、養蚕は下火になってしまった。しかし、諸経費がかかる新しい農法よりも一時的には多忙でも養蚕が一番収入がよいという篤農家もいる。桑畑の変換よりも病虫害の少ない栽桑(さいそう)と養蚕がよいといって、掃き立て数は少ないが春秋二回(各五十グラム)飼育し、収穫した繭から手芸品を作って展示会へ出品したり知人へ贈り物にして楽しんでいる方が増えてきている。

 十一月に枯れた葉をもぎとって貯蔵しておき、冬季ヤギなどの餌に供したり、桑条(そうじょう)の皮を剥(は)いで洋服繊維の原料にしたり、桑の用途は広い。ただ、紫紋羽(むらさきもんぱ)病原菌には土壌消毒など対策が必要である。






(上毛新聞 2008年6月8日掲載)