視点 オピニオン21
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書家 小倉 釣雲(前橋市上新田町)

【略歴】 本名・正俊。東京学芸大書道科卒、同専攻科書道修了。県内の各高校で書道を教える。毎日書道展会員、県書道協会理事・事務局長、上毛書道30人展運営委員長など。

生き物への愛

◎人間を表現者にする

 五月八日は愛犬ハリーの命日です。

 犬ほど私たちと密接に暮らしている生き物はないでしょう。本紙に毎週日曜掲載されている「漢字物語」にも、漢字の母国・中国の古代、すでに犬は人間社会に不可欠な生き物であったことを示す文字がたくさんあり、神と人間社会をつなぐ神聖な生き物であったと書いてあります。

 さて、戌(いぬ)年生まれの私は大の犬好きです。常日ごろ、書は自分のことばで自分を書くことでありたいと考えていますが、なかなか句や歌が作れず、他人の詩歌を借りて書作をしています。そんな私が一度だけ愛犬のおかげで詩人となり書家となれました。二年前のこと。五月に入るとハリーが急に衰弱して通院と看病で連休を過ごし、七日も午前零時すぎまで付き添った後、「明日からは仕事だから」と眠りました。が、三十分もしないうち、「ハリーが」の祖母の声に飛んでいくと、もう息をしていませんでした。

 八日の夕刻、赤城山の動物霊園で火葬し、小さな壺(つぼ)を抱え帰りました。翌日から後始末をしましたが、朝から晩までのすべての場面にハリーがいるのです。その想(おも)いを、句や歌の形にとらわれず書にしてみることにしました。

 赤城の名犬牧場のケージの中で眠っていた子犬が、私が近づくと目をさまし、とことこ寄ってきました。運命の出会いです。「赤城よりきて十三年解かれたように煙となりて山へ帰る」。娘の掌(てのひら)にも小さ過ぎるほどでワンともキャンとも鳴けず、「娘の掌にアンギャーと鳴く黒シェルティー ハリーと名付け家族となせる」。まだ生後一カ月でしたので土の上に出すなと言われ、玄関に箱を置き、その中で育て、そのまま玄関が寝室となりました。私が深夜まで書作をした後は頭をなでて休むのが常となり、「書をおえていつも頭なでてやるかたちだけにてハリーおやすみ」。

 その寝箱を片付けた時の玄関の広さに驚き、「玄関のハリーの寝箱かたづけぬ意外に広く悲しみの湧く」。食べ物を受け付けなくなった時、私に似て麺(めん)が好きでしたから、うどんを作って与えたら口にくわえました。「喉を通るものなくなったハリー最後にくわえたのは大好きなうどん」

 最後の最後に感動がありました。いつものように書作後、苦しむハリーの体をさすってやると両の目からどっと泪(なみだ)が溢(あふ)れたのです。「苦しいか、痛いのかと背をさする吾にハリーはこたえる泪のまなこ」。犬の泪を初めて見、知ったのです。よくじゃれ合っていましたから、私の腕には噛(か)み跡、引っかき傷があります。「吾が腕に傷を残した牙と爪まだ熱き骨壺に納める」

 深い愛情を持った生活は人間を詩人にします。まさに誰もが詩人、誰もが表現者です。






(上毛新聞 2008年5月30日掲載)